第五話「血戦」(その6)

「大神長官!」

 従卒の橘周防が大神を起こしにかかっている。

「どうした、何かあったか?」

 仮眠中だった大神もすぐに身を起こす。

「加山参謀長が至急おこし願いたいとのことです」
「わかった!」

 大神は手早く上衣と制帽を身につけるとすぐに行動を起こした。
 彼が休んでいた司令官休憩室を飛び出ると、一気にラッタル――階段と訳されることが多いが、実際のそれはほとんど梯子寸前である――を駆け上がる。そして、一層上の下部艦橋甲板の作戦室兼海図室に駆け入っていく。
 その身のこなしは、二〇歳以上も若い周防が置いていかれるほどである。

(やっぱり大神閣下はすごいや!)

 素直に感動する周防だが、大神は部屋に入りきる寸前、首だけを彼のほうに向けた。

「修行がたりないぞ、橘士官候補生!」
「は、はい!」

 反射的に敬礼を返す周防に、悪戯っぽい笑顔を一瞬浮かべた大神は、すぐに真顔に戻って室内に消えた。

「ふわぁ。参るなぁ……」

 扉の外に直立不動で待機する周防は呟いた。

(マリア母さんが大神閣下のことを父とも思って見習えっていってたけど、本当に凄い人だなぁ)

 だが、さすがの大神からも笑顔が消える事態が室内ではおきていた。

「大神、すまん。馬鹿な報告だ!」

 怒気を隠せぬ加山だ。
 見れば血の気の多い源田らだけでなく、参謀陣一同も苦りきった表情をしている。

「どうした、一体?」
「これだよ」

 それは、今日の〇八〇〇に南支那海・パラワン島西方沖を北上中の敵艦隊を発見したという報告だ。
 だが、それが艦隊に届くいたのはつい先ほど。既に十五時間が経過している。
 大神達は未だ知る由もないが、その経緯はこうだ。
 まず、発見したのは台湾から今回の作戦のために周辺海域に長距離偵察に出た二式大艇である。ところが、この乗員は無電封止を馬鹿正直に守って、基地に帰投してから報告した。加えて悪いことに、この飛行隊は今回の作戦にあわせて内地から台湾に進出してきたばかりで、台湾方面の航空隊を管轄する第11航空艦隊との司令系統が混乱し、上級司令部への報告が遅れたのだ。
 そして、この第11航空艦隊は大神の配下にない部隊のため、報告は呉の聯合艦隊司令部へと伝えられる。そして、そこから、ようやく大神艦隊に向けて発信されたという次第だ。
 もちろん、各段階で暗号化・解読という手順が入っているため、単純な取次ぎ以上に時間がかかる。

「それで、報告されたのが、この戦力か」

 戦艦2、巡洋艦4、駆逐艦4、輸送船4。
 大神艦隊への連絡が遅くなった理由の一つにはこの戦力にもあった。
 額面通りに信じるのであれば、ルソン島北~中部への陸軍増援もしくは補給物資ということになる。そうであるならば、補給の規模も小さいことから、後々はともかく、さしあたって艦隊や上陸部隊にも影響はない。
 その判断が、転送の優先順位を下げ、余計に時間をくわせたのだ。

「どうみる、この戦力?」
「答えをわかてっててきくなよ、加山参謀長。悪い癖だぞ」
「すまん」

 加山は苦笑してあやまる。
 帝撃のころから、大神の答えを面白がるところは、もはや無意識レベルの癖なのかもしれない。

「参謀連として意見は一致している。この報告はダメだよ」
「ああ。俺も同感だ」

 既に最も経験を積んだ将校たちである彼らは、まず、米軍が戦艦をそうした任務に使わず、また、前線に配置することも極端に少ないことを体感していた(後者については、前線基地となるのが日本軍基地を占領したものだったため、米軍用の設備が整っていなかったという理由もある)。
 となれば、この戦艦という存在自体が怪しいということになる。
 仮にこれを巡洋艦の誤認だと考えると巡洋艦6、駆逐艦4、輸送船4という艦隊になる。

「これじゃあ、中途半端ですね」
「大体、この時期に輸送船4隻程度の船団を送り込むなんてこと自体、意図がわからないな」

 源田と加山も首を捻る。

「まあ、輸送船も誤認、って考えればすっきりするんじゃないか」

 大神がそう判断すると、加山は納得して見せる。

「そうだな。巡洋艦6、駆逐艦8か。立派な巡洋艦戦隊だな」

 源田も頷くが、同時に苦虫を噛み潰したような表情になる。

「なんだ、要はでたらめな報告っていうことじゃないか!」

 最初からこの報告であれば、もっと早く電文は回ってきたはずだ。
 いや、そもそも発見時に最初から電文を発信していれば、それが艦隊でも拾えた筈である。

「故意じゃないからな。ここで悪態ついててもしょうがない」

 とはいえ、大神も気持ちは暗い。
 日本軍は開戦当初の敗北から立ち直るためにかなり無理をして前線に兵を集めた。
 大神の活躍もあって、戦局はどうにか日本側有利になりつつあるが、それでも特に航空機の損耗は激しい。後方や他機種の要員を引き抜いてまでして第一線の航空兵力を維持していた。
 そのツケがはやくも表れて始めている。
 後方や非一線機において、著しい練度低下を起こしていることが、今回の事態を招いたのだ。
 もちろん、源田などもそれは承知の上だろう。しかし、精強なる日本海軍航空隊を象徴する“源田サーカス”として活躍し、その後も海軍航空隊を強くするために邁進してきた彼にとっては、認め難い事実である。だからこそ、苛立っているのだ。

「加山。すぐに近藤提督に警戒するように連絡してくれ」
「わかった」

 すぐにそれを実行にうつそうとした加山だったが、部屋の扉が開いた。

「加山参謀長!」

 慌てた様子の伝令が加山に文章を手渡す。
 それを一読して、加山は大きく息を吐き、首を左右にふる。

「遅かったようだぞ」

 そこには『我、戦闘ニ突入セリ』という近藤艦隊からの報告が記されていたのである。

「そうか。悪い方の勘があたったな」

 加山は落胆の色を隠せない。
 しかし、希望はある。

「近藤提督を残しておいてよかったよいうべきか」

 近藤なら指揮能力もあるし、艦隊全体に指示をすることもできる。
 大神の読み通りだ。

「ああ。だが、戦闘に巻き込まれると、なかなか全体が見えなくなるもんだからな」

 ここにもかつての経験が生きている。
 “隊長”として戦場で直接戦っていた時には、目の前の指揮はとれたが、なかなか全体を見通すことはできなかった。それを、あやめやかえでの副司令、そして、米田が補ったのだ。だが、今はその役回りを大神がしなければならない。

「補給途中でもいい。大和に駆逐艦1個戦隊をつけて戦場に急行させろ」
「よし。それは近藤閣下にも打電するんだな?」
「さすが参謀長。話がはやい」

 本来、『大和』は支援艦隊として近藤の指揮下にある。
 大神は近藤の上位指揮官だから指揮権自体がないわけではない。しかし、頭越しで直接、命令を下すことは指揮系統の混乱をきたす(例えば、大神と近藤の『大和』に対する命令が食い違ったらどうなるだろうか?)。今回は、近藤に余裕がないとみた大神が非常的な行動に出たのだが、そのことを近藤に伝達しておかねば、後々、混乱を拡大するし、それこそ、大和接近を知らずに敵艦と誤認されて同士討ちなどということにもなりかねない。
 それを防ぐために近藤に『大神が大和に命令を出した』ということを伝達しておかねばならない。加山は阿吽の呼吸でそれを読み取った。

「ただ、三度は送っておいてくれよ。現場は混乱するからな」
「さすが経験者だな」
「それを言うなよ」

 戦闘に入っていると頭に血が上っていて耳に入らなかったり、混乱で通信が届かないこともある。自分が花組隊長だった時にも、隊員に言われるまで連絡をとらなかったりしたことなどもあったからだ。

「空母はどうしますか、大神長官。今から南下させれば、逃げても朝には空襲可能になりますが」

 源田が積極策を提示してきた。
 だが、大神は首を横に振る。

「攻撃機を載せているのは五航戦だけだ。位置も秘匿したいし、損耗を避けたい」
「わかりました」

 あくまで空母決戦に備える。
 必ず敵は空母を出してくるというのが、聯合艦隊の(そして大神の)読みなのだ。

「さて……まだ他に報告はないな」

 それだけ確認すると、大神はリラックスしたように腰掛けた。
 あとは事態に何か変化がない限り、大神にやる事はない。

「橘を呼んでくれ」

 すぐに扉の外に直立不動で控えていた周防が飛んでくる。

「お呼びですか、大神長官!」
「紅茶を一杯頼む。銀座流でな」
「はい!」

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