第五話「血戦」(その13)

「そんな作戦は受付けられん」

 太平洋戦線より時系列は少し戻る。
 再編成・休養の地から、東部戦線最前線に投入されたマイヤーは出頭したB軍集団司令部でそう宣言していた。
 総統命令第41号に従い青(ブラウ)作戦を実行中のドイツ軍は、バクー油田を北方から目指している。
 より詳細に作戦計画を俯瞰すれば、要衝・ヴォロネジを占領、ハリコフ南方のソ連軍突出部の排除し、ドン川流域の敵を殲滅。後、第1装甲軍、第11軍が黒海東岸を占領してソ連黒海艦隊と沿岸諸港の機能を喪失させた上でコーカサスからカスピ海沿いに進攻してバクーを占領、ロンメルアフリカ軍団と合流する。そして、同時にこの進撃の側面を確保するため、第2軍がドン川流域に防衛戦を構築しつつ、第4装甲軍と第6軍はスターリングラードに進攻し同市の占領と周辺に集結中の敵戦力の殲滅。達後、第4装甲軍はアストラハンまで突破し、ヴォルガ川の水運を封鎖するものとされていた。
 これらの部隊は全て南方軍集団に所属していたが、作戦中により明確に作戦指示を与えるため、A軍集団とB軍集団に分割している。
 マイヤー率いる第1SS装甲擲弾兵師団“LAH”は、B軍集団に属し、第六軍らとスターリングラード攻略を命じられたのだが、これを拒否したのだ。
 本来なら命令不服従で師団長解任モノだが、マイヤーは武装SS所属でありヒトラーのお気に入りでもある。結局、南方軍集団司令部にまで話が持ち上がってしまったということだ。

「理由を尋ねてよいかね?」

 軍集団司令官のマクシミリアン・フォン・ヴァイクス陸軍上級大将だ。
 齢六〇才を数え、老眼鏡を手放せない老将だが、その眼鏡の奥の眼光は鋭さを失っていない。

「この作戦は二兎を追う作戦でしょう。本来、これらの目標を制圧するなら、全力でスターリングラードを攻略してアストラハンに突破、それからバクーを目指すべきです」

 実は、当初の作戦計画では、そのような立案になっていた。しかし、ヒトラーがそれを現在の形に変更させたのである。
 進撃路を分散させても、何ら問題がないぐらい赤軍が弱体化していると見てのことだ。
 いってみれば、ヒトラーは赤軍よりも時間の経過を、前年に大損害を受けた冬将軍を恐れたということかもしれない。

「作戦の大方針については、今更仕方ありますまい。ですが、バクー攻略部隊の側面確保とアストラハンへの突破路確保というのであれば、スターリングラードは包囲に留めればいいのです」
「貴官はスターリングラードの攻略が難しいと考えているのか」
「ヤー。現在のところ、ドン川西岸全域は我々が確保し、残る障壁はヴォルガ川のみです。これを制圧すれば、現在、テレク川流域でA軍集団に防戦している赤軍部隊への補給も困難となり、崩壊させることができるでしょう」

 それは作戦案通りの展開でもある。

「ですが、赤軍が黙って眺めているとは思えません。アストラハンまで突破すれば、ヴォルガ川を『母なる大河』と呼ぶソ連人に大きなダメージを与えることもできます。更に言うならば、バクーに向かう途上には、スターリンの生地・ゴリがあります。必ずどこかで大きな抵抗を計ると考えます」
「B軍集団の前進が順調なのは、反撃のために赤軍が戦力を保全しているためということだな」

 ヴァイクスは作戦地図に視線を落としながら、マイヤーに問いかける。

「だが、それがスターリングラードとどう関係してくる?」

 それにも、もちろん、マイヤーには答えがあった。

「スターリンは独裁者ですから、我が総統の考えておられることがわかってるつもりになっているでしょう。つまり、自分の名を冠した都市を放置するわけがないと」

 東部戦線初期に大敗北したことから、かなり将軍達の言う事を聞くようになっていると伝えられるスターリンだが、その本質は──軍の弱体化に構わず赤軍の有能な将校・下士官を多数粛清し、軍が反乱できないよう監視要員として忠実な共産党員である政治将校を送り込み正規軍人に優越させたりする軍事的無能と独裁者ぶりはかわっていない筈だ。
 そこから赤軍の作戦を読んだのである。

「まだスターリングラードにはヴォルガを越えて増援を送り込むことができます。ただでさえ、都市の攻略には時間がかかるもの。我々は戦力と時を浪費してしまうでしょう」

 市街地では、野戦で威力を発揮するような戦車も装甲車も力を発揮することができない。障害物が多く見通しもきかない市街地では、近接戦闘になるため、逆にいい的になってしまうのだ。
 更に防衛側はガレキに狙撃兵を忍ばせ、あるいは地下道を利用して攻撃側の後方攪乱をしたりと少数でも効果的な攻撃を行うことが可能なのである。
 マイヤーはこうした市街戦の難しさを、知識としてではなく、兵隊としての目線と経験で知っていた──世界有数の都市であった東京で帝撃雪組隊長として戦ったのだから。

「スターリングラードは包囲に留めて無力化するのでよいということか」
「ヤー」

 ヴァイクスは再び作戦地図に視線を落として思案した。
 そして、そのままの姿勢でマイヤーに告げる。

「……今回の貴官の行動は作戦に関する意見具申ということにさせてもらおうか。異論はないであろうな」
「ヤー」

 つまり、今回の命令不服従などについて軍規違反などには問わないということだ。
 しかし、これには軍集団の幕僚たちが騒然となる。

「作戦を変更するおつもりですか!?」
「勝利のために最善の手段をとる。それが我々の仕事ではないかね」
「しかし……」

 それはヒトラーの作戦支持に逆らうということを意味する。
 総統(国家元首)であるというだけでなく、陸軍総司令官という肩書を併せもつ彼の命令は、正当な指揮系統にのっとたものだ。
 それに反する行動をとるというのは、相当の覚悟──最悪の結果を覚悟しなくてはならないのである。
 実際、この後、A軍集団司令官のジークムント・リスト陸軍元帥とともに、ヒトラーに作戦変更の意見具申を行うと、リストは直ちに解任されてしまった。リストはウィーンの前線総司令部で、ヴァイクスより先にヒトラーと会見する機会があり、この意見を直接、述べて勘気に触れたからだ。
 元々、ソ連軍を甘く見すぎていると青作戦の方針でヒトラーと対立していたフランツ・ハルダー陸軍参謀総長もリストの意見を支持したために、解任されてしまった。 本来ならヴァイクスも解任されるところなのだろうが、前任のフェドーア・フォン・ボック陸軍元帥もつい二ヶ月前に作戦方針の対立から解任したばかりとあって、さすがにそれは憚られたらしい。
 ただ、これらの“犠牲”のおかげもあって、B軍集団は「アストラハンへの突破を優先する」という“自由”を手に入れることができた。
 第1SS装甲擲弾兵師団“LAH”も第4装甲軍とともに、アストラハンへの突破部隊の一翼を担うことになったのである。

「しかし、意外だったな」
「なにがだ」

 二人きりになったところで、ロベリアがマイヤーに話しかけてきた。

「アンタ、ヒトラーにべったりかと思ったけど、違うんだねぇ」
「私は武装SS隊員として、ヒトラー総統に忠誠を誓っている。忠誠こそは我が名誉だからな」

 ロベリアが大げさに驚いてみせる。

「へぇ~。その割りには、随分と反抗的だったじゃないか。将軍の首が二人も飛んだだぜ」

 だが、マイヤーはいたって冷静なままだ。

「ふむ。その点は貴官に感謝している」

 長くドイツを離れていたマイヤーは軍内部の情勢に疎くなっている面があった。
 そこで、ロベリアが現在の状況を調べ上げ、報告したのだ。
 その結果、多少の揺れはあっても、最終的には自分の意見が通ると確信してのマイヤーの行動だったのである。

「だが、忠誠と盲従は異なるものだ。我がドイツ軍では、独断専行できない指揮官には資質がないと言われる。現場の状況に応じて臨機応変に対応し、上官に間違いがあればそれを正す。それこそが、真の忠誠というものだろう」

 やれやれ、とロベリアはかぶりをふる。

「大したもんだよ、アンタは。アタシより悪党かもしれないね」
「心外だな。表街道を歩いてきたつもりはないが、手が後ろに回るようなことはしていない」

 どこまで本心で、どこまでが虚構ともつかぬ会話がかわされる。
 だが、会話そのものは、弾んでいるともいえた。意外にいいコンビなのかもしれない。

「おっと、そろそろ時間だね」

 副官としての仕事もしっかりとしてみせるロベリアは、マイヤーに時間を示した。

「よし、行ってみるか」

 師団司令部として当てた館を出ると、用意されていたJeepに乗り込む。

「おや。調達したのかい?」
「ああ。ワーゲンやベンツなどよりよほど良い。アメリカ人は大量生産の平均レベルをあげることには大した才能があるな」

 独軍の補給を支えているのは、アメリカからの大量のレンドリース物資である。そして、それを前線まで運ぶ補給路を支えているのも、大量のレンドリース車両である。
 米国は既に民間レベルで車社会を実現しているため、トラックや軽車両の量産型でのレベルはドイツよりも上だった。
 本来、武装SS師団司令部用連絡車両として配備されているキュベールワーゲンもいい車(その証拠に、ベース車であるフォルクスワーゲンは戦後も長く販売され続けることになる)なのだが、悪路の踏破性では、Jeepに一日の長がある。
 それでも、二線級部隊はともかく、ドイツの模範的な戦闘部隊として編成されている武装SSのヒトラーの名を冠した部隊だ。米製の車両を使うなど許されない。
 だが、“うるさい連中”の目が届かない前線にきたとたん、マイヤーは名より実をとったというわけである。道の悪い東部戦線では最適だ。
 今も快調にロシアの大地を駆けていく。
 そして、すぐに装甲連隊の駐屯するエリアにたどり着いた。

「オンケル・マイヤー!」

 マイヤーの姿を認めた装甲連隊第1大隊長マックス・ヴェンシェ武装SS少佐が敬礼をしてくる。元々、小規模な組織からはじまっているために、武装SSの幹部同士は親交があるのが普通だ。中でもヴェンシェはマイヤーの副官を務めていた時期もあり、特に彼とは親しい。

「どうだ、装甲部隊は?」

 視界内には、多くの四号戦車G型が並んでいる。
 四号戦車は当初は主力戦車である三号戦車の支援戦車として短砲身の火力支援用として開発されたものだ。
 しかし、東部戦線で出会ったソ連軍のT-34中戦車やKV-1重戦車といった強力な戦車には三号戦車では全く対抗できず、四号戦車が危険を犯して接近したり、本来が対空砲である88ミリによる砲撃、航空支援などで凌いだ(ソ連軍が機甲戦術というものを理解できていなかったために孤立・各個撃破できたことで可能であった)。
 だが、独軍首脳部には大きな衝撃だったことはいうまでもない。
 それは新型戦車の開発計画につながり、当面の対策として既存戦車の改良に繋がる。既に車体の大きさが限界で現行の50mm戦車砲以上の砲の搭載は困難な三号戦車に代り、四号戦車は主力戦車化されることになったのだ。
 戦場を間近で見ていないせいか、動きの鈍かった開発側を、ヒトラーはできるだけ早期に長砲身型(対戦車=主力戦車型)の四号戦車を量産するように一喝し、その一月後の五月には四号戦車F2型(43口径75mm戦車砲装備)の生産を実現させる。並行して、更に改修を加えたG型(武装はF2と同じ)も生産を開始していた。
 その最新型の戦車を、LAHは優先して配備されている。

「四号ですからね。ちょっと重くなってますけど、“軍馬”には間違いないですよ」

 その高い信頼性から呼ばれている愛称は、最新型になってもかわりなかった。

「問題は軍馬の騎手の方ですけどね」

 今回の東部戦線への投入は、マイヤーにしてみれば予想通りであったが、本来の計画からすると早すぎる。新兵が多く補充された部隊の訓練期間としては短すぎた。

「国防軍よりは恵まれた環境だ。贅沢をいっては言られん」
「ヤー。一度実戦を経験すれば無駄な訓練は不要と言いますからね、何とかなるでしょう」
「そのためには生きて帰らすことが重要だ。わかっているな?」

 もちろん、マイヤーもただ前線任せにするつもりはなかった。
 四号G型を越える“新兵器”が彼らの手元にはあるのだから。

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