第四話「奪回」(その10)

(これは大変なことになったな)

 既に出撃してから一時間はたとう。
 隼鷹攻撃隊を率いる村田重治大尉は、あらためて今回の作戦の困難なことと、その裏腹の重要さに身震いした。
 思い出せば、搭乗員待機所に詰めていた自分が司令部に呼び出され、機動部隊司令長官の大神直々にうけた命令は

「索敵攻撃を実行せよ」

 だった。
 それは、まだ発見されていない敵艦隊を攻撃しにいけということだから、これだけでも村田に厳しい現実を認識させるに十分であったが、続いて源田航空参謀から示された詳細な現状と作戦計画は想像以上に厳しい現実を突きつけるものだった。

「これは……」

 どんな緊迫した局面でも冗談を忘れないといわれる陽気な村田ですら唸る。
 索敵機は全く敵を発見していない。
 そこから逆に導かれた“敵のいる範囲”は艦隊から見て南西側90度。
 索敵範囲としては広い範囲ではないが、それは索敵機での場合だ。
 今回、攻撃隊として編成されるのは二個編隊にすぎない。単純計算で45度づつの担当となる。通常の索敵なら1機につき広くても15度程度しか担当しないから、かなり広範囲だ。まして、編隊を組んでいる場合、安易に進路変更したりすることはできないし、通常よりも燃料消費が激しい。索敵条件としては悪条件が重なっているのだ。

「果たして、敵を発見できるかどうか……」

 村田の不安を、大神は当然だとばかりに頷いてみせた。

「だが、実施には90度全部を捜索する必要はない」

 大神は作戦地図上に引かれた線を、指で強く叩いて示した。

「この線だ。この線にのれば、必ず敵は見つけられる」

 未索敵範囲は90度とはいえ、米艦隊はできるだけ発見されにくい航路をとってきているだろうから、その中でも『あやしい海域』は限られてくる。概ね45度くらいだろう。
 だが、それでも範囲は広い。

「……了解しました」

 いずれにしても、やらねばならんのだ。
 やらなければ、一方的に叩かれて終わるだけなのだ。

「頼むぞ、ブーツ隊長」

 村田は苦笑した。
 ブーツというのは彼の渾名で、いつも飛行服姿で長靴を履いていることからきている(もう一説には男のブツが素晴らしく大きかったからともいわれているが)。搭乗員仲間からならともかく、司令長官から言われるとは。
 大神にすれば自然に出たことだが、部下にとっては、こういう何気ない言葉が『自分を見ていてくれている』という意識につながり、士気を向上させる。
 部下の掌握にはさんざん苦労した大神らしいといえるだろう。

「友永の方も、まだダンマリか」

 村田は現実に戻った。
 飛鷹の攻撃隊を率いているのは、先の小笠原沖海戦で攻撃隊長だった友永大尉である。開戦時、空母『赤城』に搭乗していて撃沈され負傷した村田は航空機乗りとしての“リハビリ”に手間取り、小笠原の戦いにもギリギリで間に合わなかった。
 それだけに今回は待ちに待った復讐戦だし、小笠原沖で大戦果をあげた友永へのライバル心がないといったら嘘になる。参加してさえいれば、友永の位置にいたのは村田の筈だったのだから。

「どこにいる……」

 村田は自身も周囲の海面に目をこらす。
 しかし、敵艦隊の気配はない。

『…ザ……』

 と、無電が何かを拾った。
 ノイズではない。
 村田は無電のボリュームをあげ、聞き耳をすました。

『…こちら……機動部隊。ただい……敵の空襲をうけつつ……。繰り返す。敵空襲をうけている……』

 雑音が多いのは、攻撃を受けているためか。

「やはりきたのか」

「左上方! 急降下爆撃機!」
「取舵一杯!」

 既に大神機動部隊は空襲によって大きく陣形を乱されていた。
 上空には進藤大尉率いる上空直衛隊も右に左に奮闘するが、所詮は僅か9機。米攻撃隊の猛攻をとめられない。

「大神」

 加山が耳打ちしてきた。

「まずいな。この艦隊、もたないぞ」

 空襲が予想よりも激しい。
 日本軍は米軍の出撃可能空母を2隻と見積もっていた。
 事実として、その隻数は正しかったのだが、そんなことはこの時点でわかるわけはない。
 思ったよりも機数が多かったことから、加山は推測をあやまった。

「敵は3隻いるかもしれないな」

 すでに撃沈したつもりでいる空母が生きているのかもしれない。
 あるいは、軽空母『レンジャー』をも投入してきたのかもしれない。
 考えられることはいくらでもある。

「確かに、そうかもしれません」

 源田も頷く。
 となると、日本軍には二個攻撃隊しかなく、しかもこの様子ではそれを反復して投入することはできないだろうから、米軍の空母が分散していた場合、一隻には全く損害を与えることができなくなる。

「どうする、大神?」
「どうするもこうするもないさ。陸サンを撤退させるわけにはいかないんだ」

 大神は、周防を呼び寄せ、紙と万年筆をもってこさせた。
 そして、スラスラと何か文章を書いている。

「こんなところでどうだ、加山?」

 それを一読した加山は驚嘆した。
 自身が攻撃をうけている最中にもかかわらず、冷静に判断し、先先へと手をうってくる。
 付き合いは長くなったが、まだまだコイツの能力は底知れない。

「どうだ?」

 返事がないので、大神はもう一度尋ねる。
 加山は、瞬間、我に帰った。

「あ、ああ。結構だと思います、長官」

 急に敬語になった加山に不思議そうにしながらも大神は先を続けた。

「じゃあ、そいつを報告文の体裁にして、発信してくれ」
「了解しました」

 加山は敬礼をかえすと、 大神のメモ書きを軍隊としての報告文として書き換えるために作戦室へと駆け足をしていった。
 と、その時だ。

「飛鷹至近弾!」

 見張が叫んだ。
 その声のした左舷後方を見れば、大きく立ち上った水柱が崩れ落ちていくところだった。
 『飛鷹』の飛行甲板にはプールの底がぬけたように水が落ちていく。
 一見、その艦体には何も変化は見られないようであったが、異変はその内側でおきていた。

「飛鷹、速度が落ちていきます!」

 肉眼ですぐにわかるほど、それは急激な減速だった。
 これは敵の攻撃を回避するための戦術的なものではありえない。
 実は至近弾というものは、場合によっては直撃弾よりも深刻な被害をもたらすことがある。
 海中で爆発した爆弾の衝撃力は「海水」という非常に良好な衝撃伝達材を通って艦体に到達するのだ。しかも、一点から衝撃が広がっていく直撃弾とは異なり、面に力が加わることになるので、艦体全体を歪めるような力が加わるのだ。
 そして、この時の『飛鷹』の場合、もう一つの不運があった。

「駄目です。出力があがりません!」

 空母『飛鷹』艦橋で艦長・加来止夫大佐は絶望的な報告を受けている。
 先の小笠原沖海戦で戦いに四航戦が参加できなかった理由、それは『飛鷹』の機関不調である。
 それが、至近弾により再発したのだ。

「司令、申し訳ありません」
「いや、仕方あるまい」

 『飛鷹』には四航戦司令官・角田覚治少将が乗りこんでいた。
 本来、四航戦の旗艦は『隼鷹』だが、そちらには機動部隊司令部が乗りこんでいる。そこで、万が一、『隼鷹』が損害を受けても、司令部が全滅しないように、四航戦司令部は『飛鷹』にと分散させていたのだ。

「それより、足がとまったんだ。くるぞ」
「はっ」

 加来もそれは既に覚悟していた。
 案の定、米軍機が集中していくる。
 既に上空直衛の零戦も健在なのは四機にすぎない。
 空母を中心に輪形に護衛艦が取り囲むことで、空母上空に対空砲火を集中させて空母を護ろうという輪形陣も各艦が回避行動を続けるうちに乱れてしまっている。
 『飛鷹』に残された最後の防御力は両舷に配備された一二.七糎連装高角砲六基と二五粍三連装機銃八基にすぎない。必死に撃ち上げてはいるが、圧倒的に物理量が足りない。

「直上! 敵機!」

 ドーントレスの必中の急降下爆撃だ。
 足のとまった『飛鷹』では避けることはできない。

「ぬぉっ!」

 その激しい衝撃に、さすがの闘将・角田もうめきをあげてよろめいた。
 『飛鷹』の飛行甲板の中央には大きくめくれあがった破孔が開き、火災が発生している。

「大神!」

 『隼鷹』艦上からその様子を見ていた加山は、敬称をつけるのも忘れて叫んでいた。

「わかっている!」

 大神とて、その光景は見ている。

「くそ。『飛鷹』はもう助からないぞ」

 足もとまり、損傷した空母などいい的だ。
 健在な『隼鷹』への攻撃は一時的に弱まり、次々と『飛鷹』の周囲に水柱が立ち昇る。
 たちまちに『飛鷹』の損害は拡大していく。

「総員退艦だ!」

 艦長はついに決断を下した。
 このまま無為に損害を重ねるよりも、少しでも人命を救い、次の戦いへの備えを残そうというのだ。

「急げ! 沈むぞ!」

 『飛鷹』の既に傾いた甲板からは次々に水兵達が海に飛び込んでいく。

「加山! 『巻雲』と『風雲』を救助に向かわせろ!」

 『飛鷹』が総員退艦を発令したのを確認した大神は即座に2隻の駆逐艦に飛鷹乗組員を拾い上げるように命令を下した。

「しかし、まだ攻撃を受けているんだぞ。危険だ!」

 救助活動を行おうとすれば、艦は速度を落とし、反撃も控えねばならない。
 それこそ“巻き添え”になってしまう。
 だが、大神は、命令を曲げなかった。

「どの道、危険だ。ならば、救助をさせるんだ!」
「わ、わかった!」

 加山は気押されながらも大神の命令を伝達する。
 この命令をもって、大神を“仁将”と評する向きもある。しかし、大神は情だけで判断するような凡将ではない。彼にはきちんとした計算があった。
 つまり、このような命令を下せば、士気があがる。
 もちろん、駆逐艦は危険にさらされるが、その分、健在な空母への攻撃が薄くなる可能性もある上、救助中の駆逐艦が攻撃をうけたとあれば、将兵の米軍に対する敵愾心もあおれる。それに、今回の敵の攻撃からしてどの道、駆逐艦2隻程度の損害はやむをえない。それなら、少しでも士気の高揚に役立てようという冷徹な計算もあった。

「『飛鷹』、沈みます!」

 総員退艦発令後も、とどめさすべく殺到した米軍機の攻撃に『飛鷹』たちまち紅蓮の炎に包まれた。そして、その船体はついに中央から二つに折れ、中央へと吸い込まれるように沈んでいく。
 しかし、それを悼んでいる暇はなかった。
 『飛鷹』を片付けた米攻撃隊は、今度は残された空母である『隼鷹』を集中的に攻撃してきたのである。

「おーもかーじ!」

 旗艦を預かる艦長・岡田為次大佐は自ら舵を指示する。
 本来なら、商船改造空母たる『隼鷹』が聯合艦隊機動部隊旗艦となることなどありえない。窮状ゆえとはいえ、その栄誉を汚すわけにはいかない。

「おーもかーじ!」

 あえて同じ方向、同じ方向へと舵を切る。“もう反対側によけるだろう”と思っている敵機の逆をつき続けているのだ。
 この海戦の最中、米軍機によって撮影された隼鷹の有名な写真があるが、その航跡は、ほぼ真円を描き一周している。そして、その写真には円の外側に幾つかの外れた爆弾の水柱が見えるものだ。これは片側にのみ舵をきり続けることで急降下爆撃を回避した“証拠写真”である
 しかし、全ての艦がそのように攻撃をさけれるわけではないことはいうまでもない。

「『風雲』損傷!!」

 案の定というべきか、救助活動にあたらせた『風雲』が襲われた。
 『風雲』は夕雲型駆逐艦の四番艦であり、その性能は帝國海軍艦隊型駆逐艦の決定版とまでといわれたものであったが、所詮は二千トンの小艦だ。爆弾一発でも撃沈されかねない。
 だが、このときの攻撃は雷撃機によるものだ。米軍の航空魚雷、というよりも雷撃機も含めてだが、日本に比べると性能が低い。その魚雷だったからこそ『風雲』は致命的な損害をうけることを免れた。

「『風雲』を救助活動から下げろ! 回避自由だ!」

 大神がそれを指示した直後。

「直撃、きます!」

 艦橋の誰かが叫んだ。
 間髪をおかず、強烈な衝撃と爆発が『隼鷹』の飛行甲板で発生した。
三3機のドーントレスから投弾された爆弾が、一つが至近弾として左舷前方の海中で爆発。そして、もう二つは飛行甲板の前方と後方にそれぞれ直撃したのである。

「……っ。大神、無事か?」

 衝撃で転倒してしまった加山は、鋼鈑の床に打ち付けてしまった腰をさすりながら立ち上がる。

「ああ。大丈夫だ」

 “猿の腰掛け”と通称される、司令官用の小さな椅子に座っていた大神だが、瞬間的に踏ん張って、転倒は免れていた。
 他の艦橋の要員もとりあえずは無事な様子だ。一番、飛行甲板側にいた水兵が爆風で割れたガラスの破片を頭から被って、血まみれにはなっていたが、それも傷としては軽い。
 岡田も既に艦長としての指示を矢継ぎ早に出し、艦を救おうとしている。まあ、速度がおちていないところをみると、主要部は無事らしい。しかし、問題は……

「これでは、駄目ですな」

 艦橋から飛行甲板を見下ろした源田はうめく。
 空母に爆撃があたるとなれば、飛行甲板しかありえないし、立ち上る黒煙でそれはわかっていた。
 それでも、源田が見た飛行甲板の現状は、彼を落胆させる。
 甲板を貫いて爆発した一千ポンド爆弾は、内側からめくりあげるように甲板に大穴をあけており、応急修理でどうにかなるようなレベルではなかったのだ。
 おまけに、火勢が強い。商船改造空母の『隼鷹』は、その艦内に商船時代の名残で木製の装備品が残されていたり、通常の軍艦より多くの舷窓があったりと、火災に対する対策が不十分だったのである。
 と、『隼鷹』の速度が落ちてきた。
 機関部に支障があったわけではない。火が風に煽られて消化活動ができない(どころか火勢を強めている)ためだ。

「大神長官。申し訳ありませんが、本艦では満足に指揮をとっていただくことができません」

 岡田は大神に頭を下げた。
 確かに速度も思うように出せず、まだ延焼している艦で指揮をとることは実際的ではないし、戦闘能力を失った空母をいつまでも前線で危険にさらすほどの余裕もなかった。
 幸い、先ほどの攻撃が最後だったようで、空襲も止んでいる。艦を移るなら今だ。

「大神。金剛にうつろう。『隼鷹』には『巻雲』と『磯風』を護衛につけて下がらせるのがいいんじゃないのか」

 加山の進言に大神は頷くと、岡田に向き直って一言付け加えた。

「艦長。『隼鷹』を何としても持ちかえってくれ。今の我が海軍は一日に二隻も空母を失うわけにはいかないんだ」

 そして、大神艦隊は全ての母艦戦力を失った。
 もはや二の矢はない。放たれた一の矢が命中してくれるのを信じるより他になかったのである。

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