第五話「血戦」(その10)

「原提督より入電。我、敵艦載機による攻撃を受けつつあり!」

 『瑞鳳』を下げ、軽空母『祥鳳』『龍驤』の二隻だけとなった前衛部隊からの報告だ。

「わるい展開だな」

 加山も顔をしかめている。隣で源田も厳しい表情をつくっていた。
 敵に機動部隊が存在していたのは予想していたこととはいえ、完全に先手をとられている。
 原艦隊は空母2隻とはいえ、両艦とも軽空母。特に龍驤は帝國海軍が一九三三年に竣工させた二番目の軽空母だ。最初の空母(ちなみに最初から空母として建造された世界最初の空母でもある)かつ最小の空母だった鳳翔が既に旧式化により練習空母となっているから、帝國海軍で最も小さい現役空母なのである。搭載機数こそ三六機であるが排水量では一万六〇〇頓にすぎない。艦が小さいということは、許容できる損害が小さいということでもある。

「残念ながら結果は見えてますな。まあ、大神閣下の計画通りですが」

 嫌な事をさらっと言ってのける源田である。
 だが、その通りにはなった。
 龍驤は至近弾数発と左舷中央部に魚雷1本が命中して大破。離脱を試みるも1408に自力航行不可となってしまう(後、味方魚雷により処分)。
 祥鳳も飛行甲板に爆弾1発を受け、中破。航行に支障はないが、航空機の運用は不可能となる。これにより、大神は原に後退を命じた。
 フィリピン攻略開始以来、矢面に立って奮戦してきた原艦隊は、こうしてフィリピンの戦場から姿を消す。
 大神は、当初からその艦隊をもって機動部隊本隊を覆い隠す作戦をとっており、この海戦においてすら囮の役目を与えられた。報われること薄き艦隊だったといえよう。
 この作戦案から、大神に冷徹な合理主義者であるという評価を下す向きもある。これは同時代の海軍軍人である南雲忠一の回顧録などでも指摘されているものだ。また、逆に辻や神重徳などは戦争は温情ではできないと激賞している。
 しかし、実際のところ、どちらも実像からは遠いといえるだろう。
 大神は仁将──盟友・加山にいわせれば乃木希典に匹敵するほどのものである。しかし、同時に戦いそのものがよく見えてしまう。それがゆえに、勝つために仁を殺して苦渋の決断をせざるをえなかった。
 南雲や神と違い、直接、指揮下で海戦を戦ったことのある山口多聞や草鹿任一の評はそうである。
 もっとも、加山や琴音によれば「帝撃時代よりは冷徹にならざるをえなかった」ということになり、これが、大神が自身の評について黙して語らなかった理由であると思われる。
 余談がすぎた。
 とにかく、この時、原艦隊を囮にし、その艦隊は大きな損害をうける。
 だが、それは無駄ではなかった。
 原艦隊を攻撃できる位置にいるということから、捜索海域を絞り混んだ大神艦隊は、霧島二号機により、ついに敵艦隊を発見。この機は報告後、消息を絶った(敵直衛機により撃墜)が、これで敵艦隊の位置を算出し、1255に関衛少佐率いる第一次攻撃隊を発艦させたのである。

「くわあーっ! 多いやないか!」

 第一次攻撃隊に加わっている紅雄は思わず嘆息した。
 この攻撃隊は零戦10機、99艦爆27機という編成だが、待ちかまえている敵機は明らかにそれより多い。
 増槽を切り離した零戦隊は加速しながら、そこへ突っ込んでいく。

「40……いや、50機はおるで」

 操縦桿を握る手に力が入る。
 とにかくこれを撹乱しなくてはいけない。
 増速する小隊長機に合わせてスロットルを開く。
 豆粒のように見えていた敵機も、その感覚を不規則に変えながら次第に大きさを増してくる。彼我の間合いが急速につまってきているのだ。

「くっ!!」

 長機に従い七.七ミリ機銃を撃つ。
 だが、正面から正対しての射撃では相対速度が速すぎて命中はほとんどのぞめない。
 互いに一端、航過する。
 自分達を狙う機がないのを確認すると反転して、通り過ぎた機体の背後を狙う。もちろん、相手もそれを許すつもりなどない。機体を旋回させて、逆に零戦の後ろをとろうとする。
 お互いの背後のとりあい、ドッグファイトはこうして幕を開けるのだ。
 実際は、格闘戦に入ると撃墜することは困難になる。しかし、戦闘機を拘束するというのは、護衛機隊としては大きな意味をもつ。それだけ、攻撃隊への圧力を減らすからだ。

「よっ、はっ!」

 筋肉に力を込めて右側に倒れていた操縦桿を一気に左側に倒す。
 補助動力装置もないこの時代、純粋に筋力勝負。細く見える紅雄だが、そこはしっかりと“基礎”をおさえている。特にこの戦いでは零戦隊の数は米軍機に比して圧倒的に少ない。全体に目をやりながら、ちょっかいをかけれる機体には全てを手を出すといった機動だ。必然的に切り替えしが多くなり、技術的というよりも体力的な要求がきつい。特に紅雄のような列機は長機の激しい動きを目視で確認しながら追尾するため、余計に消耗する。

「いけっ」

 左に旋回しながら、斜め上方にいるF4Fに対して、7.7mm機銃を放つ。
 長機の射撃に追随したものだ。

「あれ??」

 紅雄自身、当たるとは思っていない。
 旋回中射撃は、発射された弾丸にも、機体の旋回の機動が慣性となって残るため、その弾道は直進せず、流れていってしまう、いわゆるションベン弾になるからだ。
 だが、弾道を視界にいれた紅雄にはなんとなく違和感があった。
 今までのようにただ外れる弾と漫然と見ていた時とは違う。
 弾道が線ではなく、点で見えた。丁度、敵機との距離のころをだ。

「………??」

 長機に引連れられながら、別のF4Fの下方にもぐりこんだ。相手は左旋回中。こちらは右に旋回中。長機はまた、牽制のために射撃を行う。
 しかし、紅雄は一瞬、射撃を遅らせた。そして、僅かに横滑りさせて軸線を調整してから、七.七ミリ機銃を射撃する。
 タタン、という軽快な射撃音とともに発射されたその弾は、流れていきながらも敵機に近づいていく。

「!!」

 F4Fが小刻みに震えた。
 命中したのだ。
 七.七ミリでは非力なため、撃墜したり致命傷を与えたりということはないが、紅雄が狙った“点”に弾は飛び、狙い通りにあたったのである。

「なんですと!?」

 それが信じられなかったのは、他ならぬ紅雄自身だ。
 こんな複雑な弾道計算、計算尺をタイガー計算機を駆使してもできるものではない。
 しかし、戦況は深追いを許さないから、またも翼を翻す。
 今度は下方に見えるF4Fだ。
 上からかぶせる形で優位はあるが、お互いに相手を認めての機動中である。普通は弾があたるものではないのだが。

「もう一回!」

 今度は二〇ミリ機関砲を射撃する。
 重いドドドという音とともに発射された弾は、しかし、そのあまりの重さゆえに急速に沈み込む。旋回の慣性も強く働くから、扱いにくいことこの上ない。台南空のエースとして活躍した坂井三郎などは手記の中で、二〇ミリはよほど接近した時か大型機相手にした使わなかったと記しているほどだ。
 しかし、この時の射撃には、まるで火線の中に敵機が吸い寄せられるようだった。そして、命中した時の威力は、ただの鉛弾である七.七ミリの比ではない。二〇ミリ弾は内部に火薬が詰まっており、炸裂するからだ。
 F4Fは見る間に炎をあげると、空中に部品を撒き散らしながら落下していく。

「!!」

 紅雄自身、またも驚きを隠せない。
 やや前方の小隊長も、振り返って紅雄の方を見、驚いているのがわかる。
 敵機の動きと弾道の双方を予想して、一点で交わるように射撃するやり方は、見越し射撃、あるいは偏差射撃といわれるものである。しかし、これは非常に難しい。だから、“修正”の必要がない相手の真後ろにつくのが理想的な射撃位置とされているのだ。
 格闘戦中の偏差射撃は後に電子計算機が小型化され、航空機に搭載できるようになるまではほとんど不可能といってよかった。しかし、それを天性の才能とカンで紅雄はクリアしてしまったのである。ちなみに、欧州戦線では、独軍の戦闘機パイロット、ハンス・ヨアヒム・マルセイユが同様の才能を発揮し、エースとなっていた。
 ともあれ、紅雄にとっては、これが初撃墜である。

「喜びよりも拍子抜けだった。あんなに苦労したのに、こんなに簡単に堕ちるなんて」

 後に紅雄は、雑誌『航空』の対談でそう語っている。が、この戦いでは「後の射撃はいい所まではいくのだけど、あたらず」(同対談より)で、撃墜数は一機にとどまった。
 ただ、これは日本海軍最高のエースといわれる彼の、エースとしての開眼を意味するものであったのだ。

『全機、突撃!』

 紅雄は無線機に入った声に、ちらりと攻撃隊に目をやった。
 零戦隊の奮闘で、攻撃隊の被害は最小限のまま、敵艦隊の対空砲火の中に突っ込んでいく。その圏内に入れば、もう敵機が攻撃隊を襲う心配はなくなる(対空砲火による同士討ちが発生してしまうため)。あとは攻撃隊の腕を信じるしかない。

「敵機、急降下してきます!」

 米軍は空母を二群に分けていた。
 この時、日本軍が攻撃していたのは、旧第18任務部隊である。

「慌てるな。落ち着いて対応するんだ」

 絶叫調の報告にも、艦隊を率いるフォレスト・P・シャーマン大佐は冷静さを取り戻すように注意した。

(しかし、無理もない)

 旧第18任務部隊の旗艦にして唯一の空母である『エセックス』は本来、42年冬に竣工予定だった。しかし、小笠原沖海戦で受けた損害による空母不足を補うために、突貫工事で完成させられ、マリアナ沖海戦に投入された。しかし、飛行甲板に直撃弾を二発もらって、大破となってしまう。
 だが、従来の空母より大型かつ頑強な構造は、短時間での修理を可能とし、今度も突貫工事でここに投入された。
 それらを成し得たのは祖国・アメリカの強大な工業力あってこそのことだが、いくら工業力があっても経験をつんだ兵だけは、それで作り出すことができない。ドッグにいるか、実戦出撃しているかしかないから、訓練をしている時間がとれていないのだ。
 おまけに、突貫工事のあおりで、対空火器が完全には装備されていなかった。計画では12.7cm連装両用砲四基、12.7cm両用砲四基、40mm四連装機銃八基、20mm機銃四六基であるのに対し、12.7mm両用砲六基、40mm四連装機銃二基、20mm機銃五二基にすぎない。

(完全な状態で出撃できていれば)

 そうは思うが、それを許さない状況であることも理解できていた。
 もてる範囲で全力をふるうしかない。
 とはいえ、今の彼には、ただ各艦長以下の戦術機動に任せるより他にないのだが。

「!!」

 艦が大きく震える。
 椅子からおちかけて、踏ん張ったところでもう一回。

(やられたか)

 既に黒煙が見える。
 飛行甲板に急降下爆撃を食らったようだ。
 そして……

「もう一機きます!」

 三発目。
 2万7千トンの巨体が激しく揺さぶられる。

(大丈夫だ)

 だが、シャーマンは落ち着いていた。
 この振動なら、艦自体への致命傷ではない。
 日本軍の250kg爆弾では、よほど集中するかあたりどころが悪くない限りは沈没することはないだろう。

「本艦は航行には異常ありません」

 艦長からの報告はそれを肯定した。
 エセックスは命中3発、至近弾2初を受けたものの主要部は無事である。
 後部飛行甲板、エレベーター及び通風邪設備、操舵装置などに損傷を受けており、空母としての戦闘能力は喪失している。
 やむをえず、シャーマンは後退を開始した。

「上空警戒を怠るな。日本軍の第二次攻撃がくるからな」

 しかし、彼が恐れたそれが艦隊上空にあらわれることはなかったのである。

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