第六話「咆哮」(その5)

 このスコールは、三水戦と米戦艦の戦場にもかかっていた。

「まだ捉えられないか」

 戦艦『ワシントン』艦上のリーはレーダ手からの報告をまっていた。
 有視界で日本艦隊を見失ったのはもちろん、レーダーも豪雨によって電波が拡散して艦影を捉えることができなかったのである。まだ、レーダーも実用初期であり、その性能は低いものにとどまっていたのだ。
 しかし、スコールの特徴は、急激に激しい雨となり、それがまた急激に止むことである。遠からず、レーダーは回復するはず。

(そのタイミングさえ見逃さなければいい)

 リーは焦ることなく、じっと待った。
 そして。

「敵艦影発見! 新たな敵と思われる大型艦二、中型艦二、小型艦二! 距離八千四百!!」
「近い!」

 参謀の誰かが呻いた。
 この艦隊は新たな日本艦隊の増援で、大型艦とはおそらくこの海域にいる筈の日本戦艦だろう。
 戦艦同士となれば、この距離は至近距離だ。

「敵一番艦に砲撃を集中。レーダー測距でよい」

 日本軍にとって不幸だったのは、リーがレーダー射撃の専門家だったところだ。
 リーは最新技術であるレーダー照準だけの砲撃を実行したのである。
 その結果は……圧倒的だった。
 電波による測定だけで、リーは射撃開始から僅か七分で一四発もの四〇センチ砲弾をその対象となった先頭の戦艦──『金剛』に命中させたのだ。
 いくら近代化しているとはいえ、元は太正時代に建造された巡洋戦艦(防御より速度を重視した戦艦)だ。まして、主砲は三六センチ砲。一般常識として戦艦は己の主砲に耐えうる防御をしているが、『ワシントン』は四〇センチ砲艦。それもこの近距離では、金剛型の防御力を遥かに上回っている。
 それが一四発も命中しては致命的だ。『金剛』は第三・四番砲塔、後部煙突、艦橋を瞬く間に破壊された。
 中でも致命的だったのは『ワシントン』が放った十一発目の命中弾である。これは、『金剛』のやや手前の海面に着弾したのだが、そのまま水中弾となって水線下に命中。防御力強化のため、大改装で防御力強化のために追加されていたバルジを簡単に突き破ると機関部を直撃したのだ。
 艦体に大穴があいただけでなく、動力を失ってしまった『金剛』にできることは少なかった。火災を起こしながら艦隊から脱落していく。
 旗艦を失ってしまった日本艦隊は、しかし、混乱を最小限に喰い止めた。
 即座に『榛名』が“旗艦”の役目を代行し、艦隊の統制を保ったのだ。
 しかし、次にとった行動は、その成果を打ち消しかねないものになってしまう。

「『金剛』型二番艦、探照灯を向けてきました」

 レーダー以前(つまり装備していない日本軍にとっては今でも)、夜戦で探照灯を使用するのは常識であった。
 この時、『榛名』は砲火炎により米戦艦の位置を把握しており、また、距離的にも無照射砲撃が可能な距離にいる。だが、全軍に対する攻撃指示を行う為と、味方を遮蔽しようという意図から灯火を『ワシントン』に向けたのだ。
 戦前、金剛型は快速を利して前衛部隊、つまり水雷戦隊などの旗艦として戦うことを想定し夜戦の訓練は入念に積んでいた。だからこそ、常識通りにしてしまったのだが、ここは、米艦隊が圧倒的に優勢なのだから、防御を重視して探照灯は控えるべきだったのだ。
 自ら光を発する目標を、米艦隊はほおってはおかない。
 『榛名』は『ワシントン』へ第四斉射を放った直後、『ワシントン』から機銃に至るまでの集中砲火を浴びた。
 艦橋をはじめとする全ての艦橋構造物は、まさに銃雨に晒され、艦長・石井敬之大佐を除いた艦幹部のほとんどが戦死か重傷。指揮命令設備も損傷を受け、艦橋の機能は麻痺する。
 米駆逐艦群の水雷攻撃こそ三水戦が阻止したものの、『サウス・ダコタ』の四〇センチ砲弾が艦尾に命中。そこからの浸水によって電動機がショートし、舵の自由を失ってしまう。それでも人力操舵により戦闘の継続を試みたものの、急速な浸水はそれをも許さず、舵は面舵一杯の状態のままで動かなくなってしまった。
 結果、『榛名』は火災を生じながら面舵で戦線を離脱していく。もはや、ノロノロと同じ円を何度も描くしかないだろう。

「レーダーの有無が決定的な戦力の差だ」

 これで、今後の夜戦は米軍が常に戦況をリードできるようになるだろう。
 まさにレーダーという電子の目を得たことによる戦果だとリーは感じていた。
 そして、その戦果を決定的なものにすべく、敵戦艦を葬る斉射を命じようとした、その時である。

「なんだ!?」

 『ワシントン』の船体が激しく揺さぶられた。

「リー提督、『サウスダコタ』が!」

 先ほどまで『ワシントン』と並んで猛威を振るっていた『サウスダコタ』は、B、C砲塔を原型をとどめないほど破壊され、あったはずの艦橋はごっそりと上半分をもぎとられている。

「一斉射で大破だと?」

 リーは瞬時に別の敵がいる筈だと判断した。
 三六センチ砲弾では、そうはならない。

「新たな敵艦隊、大型艦一、小型艦一!」

 直後、レーダーがリーの判断を裏付けた。
 『ワシントン』自身が砲撃を受けていたことや戦場のノイズが発見を遅らせていたのだ。
 しかし、発見した以上は、こちらのものである。

「目標をその大型艦に変更!」

 三六センチ砲弾以上──となれば、日本海軍には『長門』『陸奥』がある。世界のビックセブンといわれた戦艦だが、一九二〇(太正九)年竣工で、旧式なことは否めない。対して『ワシントン』は一九四一年、『サウスダコタ』は一九四二年竣工の新型。主砲は同じ四〇センチながら、長門型が連装四基八門なのに対して両艦とも四〇センチ砲三連装三基と優力だ。『ワシントン』は元来が三六センチ砲戦艦として設計されたため防御力にやや難があるが、この距離なら、当ててしまえば勝ちだ。新型装備で総合性能で勝る米戦艦に優位がある。

「敵艦、発砲!」

 しかし、司令塔からその光景を確認したリーの幕僚は驚きの声をあげた。

「でかい……!」

 発砲炎に浮かび上がったその戦艦は、既知の日本艦とは明らかに異なる。三連装砲塔を装備しており、何より、長門型より巨大な日本戦艦など存在していない筈だ。

「Fire!!」

 『ワシントン』も、その新型戦艦に向けて初斉射を放つが、先に日本戦艦の攻撃が『サウスダコダ』に更なる命中弾を与える。

「サウスダコダが!!」

 命中したのは一発。しかし、それは『サウスダコダ』のヴァイタルパート(重要防禦区画)を貫通し、A砲塔弾薬庫を直撃した。その誘爆により、『サウスダコダ』は大きな火柱をあげると一瞬にして爆沈したのだ。

「落ち着け。こちらの攻撃もあたる」

 リーは部下の動揺を食い止めようとする。
 確かに『サウスダコタ』の喪失は痛手だが、既に大きなダメージを負っていたから、やむをえない。しかし、その犠牲のおかげで稼いだ時間で、『ワシントン』は、新型戦艦に対して先手をとれた。

「初弾命中! 敵戦艦に火災発生!」

 おおっ、という歓声があがる。
 初弾からの命中は、いささか偶然だが、レーダー測定の高精度という必然から導かれたものでもある。

「よし。攻撃を続けよ」

 リーも更なる攻撃を命じる。
 しかし、これが『ワシントン』による新型戦艦──『大和』への、最初で最後の戦果らしい戦果であった。

「三番副砲塔大破、使用不能も弾薬庫への類焼の危険性はありません」
「了解。引き続き消火に勤めよ」

 『大和』艦長・高柳儀八大佐への損害報告に、加山も胸を撫で下ろした。

「さすがは『大和』。四〇センチ砲弾にはビクともしませんな」
「うん」

 大神はうなずいて見せるが、内心は異なった。
 『大和』は空前絶後の四六センチという巨砲を誇り、また、戦艦の原則どおりそれによる攻撃を想定して防御された堅牢な戦艦である。だが、副砲として搭載されているのは、軽巡時代の最上型の主砲だったものだ。装甲はないに等しく、当初から大和型防御上の欠点になるのではと危惧されていたのが、それが現実となっている。

(運がよかった)

 戦艦としては近距離での撃ち合いであるため、弾道が比較的水平に近かった。これが、遠距離砲戦で大角度で命中していれば、副砲塔の直下にある弾薬庫にまで損害は達していた可能性がある。

(これは改装を具申すべきだな)

 ともあれ、それは生き残って後のことだ。

「前方の戦艦に目標を変更」

 大神の指揮により、『ワシントン』が新たな目標となった。
 『サウスダコダ』に続いての初弾命中とはいかなかったが、二斉射目で夾叉を出し、三斉射目で命中弾を出す。
 この間、『大和』にもニ発が命中。うち一弾は艦尾の航空儀装を破壊したが、幸いにも致命傷ではない。

「敵戦艦隊、方位一二〇度に転舵!」
「離脱を図る気か」

 しかし、それが効果を得るより早く、四斉射目が『ワシントン』に降り注ぎ、艦体中央と後部にと二発を命中させた。
 これで、『ワシントン』はC砲塔を失い、また、艦橋構造物が大きく破壊される。

「くそ、速度がおちないな」

 それでも、機関部は健在なのだろう。高速を保ち、また、発生した火災もすぐに消し止めた『ワシントン』は闇に紛れての逃走を図る。

「大神長官、追いましょう!」

 加山の意見具申に、しかし、大神は首を振った。

「深追いは禁物だ。今回の作戦目標は敵の攻撃阻止。敵に与えた損害は十分だし、味方の損害は限界だ」

 この間、味方戦艦部隊の登場により圧力が軽減された三水戦は、次発装填こそならなかったものの、米駆逐艦群を砲撃により圧倒。駆逐艦一隻を撃沈、二隻を撃破の戦果をあげている。また、一〇戦隊も『暁』を失ったが、敵駆逐艦二隻を沈める奮戦を見せ、敵艦隊が撤退とともに戦闘を終了した。

「三戦隊の仇も、これで討てただろう」

 初射で『大和』が無照射砲撃ができたのは、『榛名』の火災が偶然にも『サウスダコタ』を浮かび上がらせる位置関係になっていたからだ。
 その犠牲がこの戦果を生んだともいえたのである。

<<第三次フィリピン海戦>>

聯合艦隊司令長官:小沢治三郎大将(在横須賀鎮守府)
フィリピン攻略艦隊(司令官:大神一郎中将)
 艦隊直轄
  戦艦『大和』
 第三戦隊
  戦艦『金剛』『榛名』
 第四戦隊
  重巡『愛宕』『高雄』
 第一〇駆逐隊
  駆逐隊『風雲』『夕雲』
 第一一駆逐隊
  駆逐艦『叢雲』

 第三水雷戦隊(司令官:橋本信太郎少将}
  旗艦
   軽巡『川内』
  第一九駆逐隊
   駆逐艦『浦波』『綾波』『敷波』

 第一〇戦隊(司令官:木村進少将)
  旗艦
   軽巡『長良』
  第一六駆逐隊
   駆逐艦『天津風』『雪風』『照月』
  第六駆逐隊
   駆逐艦『暁』『電』『雷』

太平洋艦隊司令長官:ニミッツ大将(在ハワイ)
 第六四任務部隊(司令官:ウィリス・A・リー中将)
  戦艦『ワシントン』『サウスダコタ』
  駆逐艦『ウォーク』『ベーナム』
  駆逐艦『グゥイン』『プレストン』

 第六七任務部隊(司令官:ダニエル・J・キャラガン少将)
  重巡『サンフランシスコ』『ポートランド』
  軽巡『ヘレーナ』『ジュノー』
  駆逐艦『カッシング』『ラッフィー』
  駆逐艦『スターレット』『オーバノン』

「すごい……」

 夜が明ける。
 以後も周辺海域の警戒に当たっていた『大和』の昼戦艦橋にも光が差し入りはじめ、周囲も明るさを取り戻す。
 同時に、そこで見えたものに、周防は絶句した。

「ま、確かにな」

 たまたま、近くに大神と周防しかいないとあって、加山も少し不機嫌そうに相槌をうつ。
 『金剛』は消火に成功し、曳航準備が進んでいるが、その上部構造物の壊れ方──あるいは抉り取られ方は、船に瓦礫が乗っかっているといっても差し支えないほどのものだった。
 周防とて、今までも空襲によって破壊された艦は見てきたが、そこに戦艦はなかったし、こういう壊れ方をする前に沈没してしまう。しかし、(戦艦としては)近距離での砲撃戦であったため、水平に近い弾道で上部構造物をこそぎ落とすような形となっていた。それに周防は圧倒されたのだ。

(俺の失敗だな)

 同じ光景を、大神は口にこそ出さぬがそう感じていた。
 ビルヂングを彷彿とさせる『金剛』型の艦橋が破壊され、黒く焼けている様は、かつて帝都や巴里で見た光景と重なる。それも自分が力不足であったゆえに招いてしまった破壊。今回も自分が読み誤ったために生じてしまった損害。

「大神。『榛名』は消火の見込がたたんそうだ」
「そうか」

 今しがたやってきた伝令の内容を加山が伝える。

「『榛名』は処分だ」
「──了解」

 救出が不可能と判断された『榛名』は、『照月』の魚雷により処分された。
 開戦劈頭の奇襲による損害を除けば、初の海戦中の戦艦喪失である。

「周防」
「はい。大神長官」

 呼ばれた周防は直立不動になる。
 何か用事を言いつけられるかと思ったのだろう。が、そうではなかった。

「この戦いをよく覚えておいてくれ。俺はこの戦いで、己の迷いに負けた。二度とこんな無様な戦いはしないからな」
「大神閣下……!!」

 この戦いにより、フィリピン攻略艦隊は戦艦『榛名』、駆逐艦『暁』『綾波』を喪失、戦艦『金剛』、駆逐艦『天津風』が大破した。戦艦『大和』も中破と判定されている(他に駆逐艦『雷』が小破)。結果、すべての空母・戦艦の戦線離脱を余儀なくされた。
 それに伴い、機動部隊の再建と次期作戦に専念させるために大神は指揮官を近藤信竹中将と交代して内地へと召還される。
 また、フィリピンの陸戦を戦っていた米田は負傷により内地送還。桐島の所属する甲虎隊(独立特車第一〇六大隊)も装備をほとんど失ったことによって内地へ撤収となる。
 一方の米軍も戦艦『サウスダコタ』、駆逐艦『ウォーク』『プレストン』『カッシング』『ラッフィー』を失い、戦艦『ワシントン』を大破。駆逐艦『グゥイン』『プレストン』も損害を受けた。空母、戦艦と相次いで戦線離脱となり、フィリピン周辺に及ぼすことのできる海軍力は大幅な低下となってしまう。米軍はミンダナオ島の南部を除いてフィリピンへの海上補給路の維持が困難になってしまったのだ。
 こうして、太平洋の戦いは、新たな局面を迎えようとしていた。

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