第六話「咆哮」(その6)

「師団正面が五〇キロだと?」

 作戦命令をうけとった第1SS装甲擲弾兵師団“アドルフ・ヒトラー親衛旗(LAH)”師団長ハインリヒ・フォン・マイヤー武装SS大将は悪態をついた。
 一般に防衛時の師団正面は一〇キロ程度とされている。
 それを五倍の距離を守れということだからだ。

「ふーん。どうするんだい。また、文句をいいに軍司令部にでもいくのかい?」

 マイヤーの副官におさまっているローベ・カルリーニ武装SS大尉ことロベリアが皮肉っぽく笑う。なにせ、彼女にとって、独軍の勝敗については興味がない。面白いかどうかというだけだ。

「ふん。具申して変わることならな。今は無理だ」
「ほー、やけに素直だな」

 ロベリアが茶化すが、実際、戦況は厳しかった。
 四二年の冬が到来し、一一月一九日から赤軍の冬季攻勢が開始されている。
 アストラハン、バクーまでの突破を成功し、アフリカ方面の部隊との合流を成功させた独軍ではあったが、戦線は延びきっていて苦しい防衛戦を強いられていた。

「貴様の同胞が役にたたんせいだぞ」

 ロベリアの故郷、ルーマニアをはじめ、ハンガリー、イタリアといった“同盟国”の部隊も東部戦線には投入され、独軍の兵力不足を補っていた。
 しかし、もちろん、独軍より戦力は劣る。
 今回の攻勢にあたり、赤軍は、この“弱い継ぎ目”を狙ってきたのだ。次々と撃破される同盟国軍の穴を塞ぐため、独軍はその担当正面を長くし、直接自分たちで防御するしかなかった。
 もっとも、ロベリアの返事は手厳しい。

「おいおい。よしてくれよ、あんなのを同胞だなんてな。流されるだけの豚どもだぞ」
「ふむ。なるほど、貴様らしい言い草だ」

 レジスタンスになることも、反共十字軍として武装SSに志願するようなこともない。自らの力で立たない者に、自らの運命は切り開けないというのがロベリアの考え方だ。

「で、アンタ、その戦線を支える勝算はあるのかい?」

 マイヤーは、意外そうな表情をする。

「勝算など関係ない。他に選択の余地がない命令だ。全力で実行するしかあるまい」
「はーん。お固いねぇ」

 ロベリアは茶化し続ける。
 が、これに珍しくマイヤーが切り返しを入れた。

「貴様のパリでの戦いだってそうだったのではないのか?」

 パリをおそった未曾有の戦い。
 その末期において、巴里華檄團・花組は絶望的な状況でも決して諦めることはなかった。
 マイヤーは、それが自分の考えと何ら変わることがないと言っている。

「………」

 これには、さすがのロベリアも言葉に詰まった。
 とはいえ、マイヤーはやりこめようと思っていたわけだはない。それを気にすることもなく更に言葉を繋げていく。

「もっとも、ここで貴様にそれは求めん。この戦いに貴様の正義はないからな」
「なら、あんたの正義はあるのかい?」
「無論。俺の正義は我が祖国、グロス・ドイチュラントとともにある」

 ここまで断言されると、ロベリアとしては笑うしかない。

「いやいやいや、立派だよ、あんた。惚れちゃいそうだ」
「それは光栄だ。イチロー・オーガミの次だろうけどな」
「おー、よくわかってるじゃないか。あんたも言うようになったじゃないか」
「貴様との付き合いも長くなってきたからな」
「おっと、それは光栄だ」

 ロベリアは再び声をあげて笑い、マイヤーは僅かに相好を崩した。

「三二〇師団か」

 五〇キロにわたる戦線は、いつのまにか七〇キロにまで増加していたが壊滅した部隊を吸収し、また、装備が良好なこともあって、後退しつつもなんとかマイヤーは戦線を維持していた。
 だが、すべての部隊がそうではありえない。
 国防軍の第三二〇歩兵師団が、赤軍の攻勢の前に包囲されてしまったのだという。
 その救出命令が、LAHに下ったのだ。
 これに対するマイヤーの回答は簡潔であった。

「直ちに命令を実行する」

 武装SSは絶対に戦友を見捨てない。
 それが彼らの信念である。

「作戦はシンプルだ」

 三二〇師団の状況では、内側から包囲を突破する攻撃力は残っていない。
 従ってLAHは機動力のある戦力を集中して、敵の薄い部分を突いて開囲する。
 また、隣接する第二一装甲師団(アフリカからの転戦だ)に拘束攻撃を依頼して、敵戦力の吸引・拘束をはかる。
 教科書通りといっていい。

「攻撃するポイントはここだ」

 ロベリアが広げた作戦地図の一点をマイヤーは示した。

「オンケル・マイヤー。こりゃまた難しい場所を!」

 救出部隊の指揮官に任命された第二装甲擲弾兵連隊第三大隊長ヨアヒム・パイパー武装SS少佐が大げさに驚いて見せた。

「簡単なことなら、わざわざ貴様にはやらせん。できないとは言わせんぞ」
「もちろんです」
「よし。いってこい」
「ヤー(了解)。やつらに戦争を教えてやります」

「ヴァル、距離二千、後退しているやつだ。狙えるか?」
「問題ありません──フォイアー!」

 ティーガーの八八ミリ砲が、T-34の正面装甲を打ち抜き、撃破した。

「どうやら、今のでラストだな」

 第一戦車大隊第四中隊ミヒャエル・ビットマン武装SS少尉がキューポラから周囲を確認する。

「ちょろいもんですな」

 砲手のバルタザール・ヴォル武装SS軍曹の口調も軽い。
 もちろん、言うほど楽な戦いをしているわけではない。だが、今までの苦しい防衛戦に比べると雲泥の差だ。
 戦術的な攻勢側となっているので、戦場の主導権を握っているというのもある。
 あるいは、今までの攻勢は敵陣地に阻まれることが多かったのだが、赤軍が前進したところに対する攻撃であり、防御のための本格的陣地構築がなされていないというのもある。

「まあ、今だけだ」

 ビットマンは車長用ハッチをあけて車外に上半身を乗り出す。
 ロシアの冬。南部とはいえ、冷気というよりも凍気というにふさわしいものが肌を刺した。それをおして、キューポラからでは死角になる部分も含めて用心深く周囲を見回すが、敵の姿は見当たらない。

「少尉、パイパー戦隊長からこのまま補給と整備をするようにとの命令がきました」
「ヤー(了解)」

 早速、総出で車外に出て、整備をはじめる。
 強力な戦車だが、整備に手間がかかるのが難点だ。

「もうちょっと燃費がいいと助かるんですけどね」

 ヴォルが言うように、ティーガーの航続距離はカタログスペックで一三〇キロ。戦闘となれば不正地で急加減速を繰り返すことになる上、ロシアの冬がそれを数倍に悪化させる。

「でも、いくら燃費がいい戦車でも、あんなのはご免ですぜ」

 操縦手のポールマン武装SS兵長が示したのは、一週間前に、ここで後退戦闘を強いられた時に撃破された独軍戦車の残骸。だが、ドイツ製ではない。

「ヤンキーは何を考えているのかわからんな」

 ビットマンも呆れているその正体は、M4シャーマンだ。
 東部戦線で消耗戦を強いられているドイツに対して、同盟国である米国が供与(無償レンドリース)したものである。
 しかし、今日では“戦車史における恐竜時代”といわれる独ソ戦の戦場において、シャーマンはあまりに非力であった。『棺桶いらない、トラックよこせ』とまで酷評されている程だ。

「おい、ビットマン」
「パイパー戦隊長!」

 クルー一同が敬礼する。
 いつのまにか、パイパーの指揮装甲車が隣に来ていた。

「敬礼は省略でいい。擲弾兵を先にいかせるから、後から追いかけてきてくれ」
「随伴しなくてよろしいのですか?」
「ああ。今のうちに伸ばせるところまで伸ばしておくから、詰まったら手伝いにきてくれればいい」

 実のところ、ティーガーは前述の燃費の悪さと、その故障率の高さから攻撃向きの戦車ではなかった。
 パイパーは小回りの効く装甲擲弾兵でできるだけ距離を稼ぎ、進撃が停滞した時にティーガーを追いつかせ突破戦力として用いるという作戦を使っていた。

「まあ、こっちは軍馬(四号戦車)がいるからな。虎はいたわりながらきてくれ」
「ヤー」

 既にLAH所属のティーガーの稼動台数はビットマン車を含めて3台にまで落ち込んでいた。防衛戦においても酷使されてきたゆえだが、そのすべてをこの救出作戦につぎ込んでいる。それだけでなく、師団砲兵部隊も、集中的に投入されていた。
 その分、他の地域では苦しくなるのだが、マイヤーは二一師団の拘束攻撃とパイパー戦隊自身の攻勢により、他の地域での攻撃は最小限のものになることでカバーできると予測しており、実際、ここまではその通りにきていた。

「とにかく時間だ。相手が態勢を整える前に穴をあけて、追撃される前には引き上げる」

 それはマイヤーとパイパーの一致した作戦方針である。

「止まるな、突っ切れ!」

 乗車したままの戦闘で敵戦線を蹂躙することも度々。
 ついに三二〇師団との合流を果したのは、作戦開始から二日後のことである。
 パイパーからの報告を聞き、マイヤーも前線に駆けつけた。
 しかし、そこで目にしたものは──

「こいつはひどいな」

 マイヤーに同行したロベリアも思わずそう口にするほどの惨状であった。
 後退できた三二〇師団の兵員三千二百名中、千五百名もが負傷兵であり、それも、重傷者が多数を占めていたからだ。

「オンケル・マイヤー」

 マイヤーの姿を認めたパイパーが駆けつけてくる。

「状況は?」
「まるでベレジナですよ」

 パイパーは、かつてナポレオンがロシア遠征に失敗し十万人の兵を五千人にまで減らして退却した様に現況をなぞらえた。

「重傷者の応急処置だけでも朝までかかります。それを待ってから元の戦線まで後退しましょう」
「よし、貴様の言う通りにしよう。三二〇師団の健在な兵員も指揮下にいれろ」
「ヤー」

 とはいえ、実際には三二〇師団は重装備も失っており、救出作戦で失った戦力の補充にもならない有様だった。
 もっとも、それでもまだマシなほうだったとはいえるかもしれない。
 スターリングラードでは、同市を攻略中だった第六軍の二○万人が、三倍になる敵に包囲されてしまったのだから。

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