大神は太正13年4月(=1924年4月)、20才の春に帝國華撃團に赴任してくる。ストレートにいくと(海軍兵学校に入るのに浪人するケースも多々あった)、兵学校を出て2年がたち、少尉任官から半年が立っているということになる。
これで、ゲーム中に度々いわれる「元少尉」という表現にも合点がいきます(少尉任官と同時に花組隊長となったのなら、「元」という言い方はそぐわしくない)。
これで、計算すると、大神の士官学校卒業時期は太正11年3月で、少尉任官は太正12年10月。海兵50期ということになります。
この50期生は八八艦隊計画(海軍拡張計画)を前提にした採用で、卒業生数272名の大所帯。大東亜戦争を大佐クラス、すなわち戦争中は艦長や艦隊参謀など海軍の中核として働いたクラスである。
大神は、この272名のクラスヘッド(首席)。ただでさえ、海軍兵学校は難関中の難関校だったのだから、大神が如何に優秀であったかがわかる。頭脳だけでなく、体力や統率力もなければならないのですから。
少尉候補生で遠洋航海などで鍛えられた後に、少尉任官するが、少尉任官後も「術科講習」として、砲術学校や水雷学校に三ヶ月づつ学ぶはずなので、これが終わったところで、帝撃に配属ということになる。