「たっく。司令部は、何を考えてやがる!」
近衛後備歩兵旅団長、米田一基帝國陸軍少将は将軍とは思えぬ悪態をついた。
「旅団長、何を苛立っておられるのですか?」
旅団司令部付少尉――実質的な司令部雑用係を務める真宮寺一馬少尉は、なだめるように声をあげた。
この米田という将軍は、酒飲みで、口が悪く、上官を上官とも思わぬ態度をとっていた。しかし、そのくせに戦場で示す能力は抜群ときている。付き合いにくいことこの上ない。
「一馬よ」
米田は自分の息子ほども年の離れた少尉を名前で呼んでいた。
「お前にはわからねぇか。この空気が」
米田は、満州軍総司令官・大山巌や第一軍司令官・黒木為禎のような、もはや現役では七名しかいなくなった戊辰戦争生き残り組ほどではないが、対魔部隊・抜刀隊の一員として戦闘経験を重ねてきた。正式に陸軍編入後も日清戦争などで武勲を重ね、「戦のにおいがわかる男」という評判をとっている。
その彼の嗅覚は、対峙するロシア軍からの「匂い」を、もう何日も前から感じていたのだ。
「ったく。ここまではうまくやってくれてたんだが……児玉も才能が枯れたか?」
満州軍参謀長の児玉源太郎大将を呼び捨てにしたかと思うと、傍らにあった徳利を一気に仰いだ。
中身はもちろん、酒である。しかし、どういうわけかこの御人、いくら飲んでも酔うということを知らぬようだ。むしろ、飲んだ方が頭の回転がよくなるようにも見える。
本人に言わせると
「俺の酒は飯代わりだ」
ということだがが、これはヤケ酒にも見える。
一馬が、心配して米田の飲酒を止めようとした矢先、旅団参謀が満州軍総司令部からの命令を伝えてきた。
米田はその内容を聞き、首を捻る。
「ほう。児玉が俺を呼ぶとは……どういう風の吹き回しでぇ?」
明治三十七年十月七日。
大日本帝國は、その国家としての存亡をかけた戦い――日露戦争を戦っていた。
その開戦前、当時の元老・伊藤博文をして
「陸海軍が全滅し、ロシア軍が日本に上陸してきたならば、往年、長州の力士隊を率いて幕府と戦ったことを思い、銃をとり、一兵卒となって、山陰道から九州沿岸でロシア軍と戦い、砲火の中で死ぬつもりだ」
と語らせ、財界一の実力者・渋沢栄一もまた
「私も一兵卒として働きます」
と言ったほど、日本には勝ち目がないと思われていた戦争である。
それでも、日本は作戦の妙を尽し、士卒が死力を振り絞り、天運すら呼び寄せて何とか優勢を保っていた。そのまま勢いにのって追撃できれば、戦争を優位のまま早期に終結させることも可能であっただろう。
しかし、それはできなかった。
常にギリギリのところで戦争を進めてきた日本にはその余力がなかった。兵員や弾薬の補充が間に合わなかったのだ。
ロシア軍と沙河を挟んで対峙して、もう一月。初期の退却の混乱からロシア軍も立ち直り、それどころか着々と増援を得て、その兵力は日本軍の二倍近くに達しようとしていたのである。
「米田一基少将、お呼びにより参上しました」
自ら馬を走らせ、満州軍総司令部に到着した米田は、疲れも見せずに、児玉のもとへと出頭した。
「おう、早いな」
「江戸っ子は気が短ぇもんでな」
見れば、そこには児玉源太郎の他、第四軍参謀長上原勇作少将もいる。
「こいつは珍しいじゃねぇか。どういうこってぇ?」
「諸君らの意見を聞きたくてな」
相変わらずの米田の口調に苦笑しながらも児玉は答える。
「ほう。いつも性急すぎるほど決断の早い児玉サンには珍しいことだ。旅順ボケしたのかね?」
児玉は九月十六日から十月六日まで、戦況がおもわしくない旅順要塞方面の戦況視察に出かけていた。この二十日間の『空白』が児玉の頭脳のリズムを崩しているのには間違いがない。
「そう言うな」
児玉は、無礼極まりないともとれる米田の言にも、自らの頭をかくだけであった。なんとなれば、児玉は米田の正直な物言いを好んでいた。そして何より、その軍事的才能を買っていた。だからこそ、後備近衛歩兵旅団などという二線級部隊――後備部隊であるから、応召された老兵で構成されているのはもちろん、装備は旧式。加えて近衛は弱いというのは、既に世界的常識であった――に配備したのである。
いささか逆説的ではある。が、総兵力でロシアに圧倒的に劣る日本は本来なら後方警備にでも用いられるべき部隊を前線に投入せねばならななかった。そのために、二線級部隊でもって一線級部隊と同様の成果をあげることのできる人間を指揮官にすえる必要があったのだ。そして、今のところ、米田はその期待に十分にこたえていた。
「で、米田。今、我々はどうすべきか。それについての意見を聞かさせてもらいたい」
米田はこれに対し、明快な答えをもっていた。
「積極的な攻勢あるのみ。理由は二点。一つには、この土地は、北からの攻勢に対する防御には適していねぇこと。二つは、我が兵力は敵に著しく劣る。守勢防御にて露軍の攻勢を受け止めるのは不可能であり、機先を制しなければならねぇ」
そして、米田に続いて意見を述べた上原も、米田ほどの鋭さはないものの、積極的攻勢を主張した。
だが、二人の回答をきいてなお、児玉は迷っている。
「……とりあえず、全軍を待機状態にするか」
この独り言ともとれる呟きを米田は聞き逃さなかった。
「守勢をとるんなら、戦線を整える必要がある。攻勢をとるんなら、さっきも言ったように早いほどいいんでぇ」
元来が江戸っ子で気の短い米田は、語気荒く児玉に詰め寄る。
「この期に及んで、まーだ、決めかねてるのか。それでも帝國存亡の戦いを率いてるってぇ総参謀長か!」
こうなっては児玉も黙っていない。むしろ、これまた気短な彼にしてはよくもっていたといえるだろう。
「米田! 貴様、俺に喧嘩を売るか!」
「おおー。上等だ。火事と喧嘩は江戸の花でぇ」
両者、椅子を蹴ってとびあがった。
慌てて、随員として同行してきていた一馬が、米田の袖を掴んで引き戻す。
「旅団長!」
児玉も上原に制されている。
なおも睨み合う二人は、とても将軍同士とは思えない。
それでも、いささか冷静さを取り戻し、米田は身体から力を抜いた。
「帰るぞ、一馬」
そして、米田は児玉に背を向けると、振り返りもせずに司令部を出ていく。
だが、結局はこのやり取りが、児玉に決心をさせたのである。
「やれやれ。ようやく、児玉サンが目を覚ましたか」
旅団に帰ってからも焦れるように命令をまっていた米田は、所属する第一軍からの命令に目を通す。
「どうなのですか、旅団長」
見る間に深刻な表情となっていく米田を見て、一馬が不安気に声をかけた。
「旅団長!」
なおも返事がない米田を咎めるように叫ぶ。
「聞こえとるわ! ちよっとは黙らんかい!」
そう言うと米田は、一馬に命令書を投げてよこした。
「見ろ」
その命令を要約すれば、日本軍は全戦線において、ほぼ横一線となって平押しに押すという作戦案であった。
約七〇キロに及ぶ戦線で、戦闘総員十二万を超える日本軍が、山地や河が(満州にしては)入り組んだこの地形を一直線で並びながら敵を攻めるというのである。
「これは無理です! 机上の空論です!」
思わず一馬は叫んだ。
それは、むしろ常識的な判断といえるだろう。
しかし、米田は違った。
「馬鹿野郎。児玉源太郎が、そんな無能だと思ってるのか?」
あれだけ険悪になりながらも、それと評価は別物だ。
「いいか。ロシア軍は、おそらく我々の倍にもなろう。このような多数の敵に対して、少数の側が攻める。このことをどう思う」
「……常識外です」
「だが、それをやらねばならねぇんだ。なぜなら、我々は戦争に勝利せにゃーならねぇ。それを実現するためにはどうすればいいか?」
「どうすればと言われましても……」
裏御三家の血筋を引いているとはいえ、未だ二一才の若者に過ぎない。降魔と戦う術は知っていても、近代戦の知識とは別物だ。
「……前進を止めないことですか?」
「違う。それは、自らが兵力的に優位にたっている場合にゃー、最も優先度の高い事項だがな」
やはり、米田の満足する答えではなかった。
「いいか。一番、肝心なことは、攻める戦線を破られないことだ」
普通なら防御側が心配することだ。
「本来なら防御に徹しなくてはならない側が、攻撃しようっていうんだ。本質的には防衛側と同じ心配をせにゃいかん」
まるで士官学校の講師のように米田は一馬に諭していく。
「そのためには、戦線に突出部をつくるわけにはいかねぇんだ。突出部をつくったが最後、数に優るロシア軍に包囲殲滅されちまう。俺達にはそれに対応するための予備部隊は残されていねぇんだからな」
「理屈はわかります。ですが、それができるかどうかは別問題ではないのですか」
「おいおい、一馬さんよ。随分、余裕のある発言」
呆れたような感じで米田が言う。
「さっきも言ったろう。日本が勝つためには、攻めるよりしょうがねぇと。他に手がないい以上、一厘でも一毛でも可能性があるならば、それを断固として実行せにゃいかんのだ!」
日露戦争というのは、本質的には、日本にとって悲惨な戦争であった。
総兵力でいえば陸軍で二倍、海軍で三倍という相手に戦争をしかけている。
仮にロシアが負けても勢力拡張を阻まれるだけであるのに対し、日本は負けたならば、近代国家としては亡びるであろう。
この戦争において、日本は常に無理をすることが宿命づけられているのだ。
「一馬よ。軍人ってーのは、常に最後の勝利を目指さにゃーならん。その可能性がどんなに低かろうともだ」
そう言い終えた米田は、手早く個人装備を身につけ始めた。
「旅団長。どちらへ?」
「前線視察して敵情を見にいくぞ。戦線を一直線にするにゃー、まず始めに俺達が後退せにゃいかんからな」
「おるわ、おるわ」
米田は双眼鏡で敵陣を覗いていた。
彼の前線視察は、前線も前線、最前線視察である。
なにせ、すぐそばには歩哨がいるほどだ。
「旅団長。ここは危険です。お下がり下さい」
副官や伝騎も連れずにきた米田だが、唯一人、一馬だけは例外だった。
だが、彼の至極常識的な発言も米田には無視される。
「一馬。敵を知らなくては、敵の匂いをかくごとはできねぇ。そして、敵を知る最良の手段は、敵を肌で感じる事だ」
そして、彼は匂いを感じた。
「歩哨!」
米田はそばにいた歩哨を呼び寄せた。
後備兵とあって、この兵隊も応召兵で、本人には失礼だが、いささかくたびれて見える。だが、それは外見だけであった。
米田は、彼に後方に伝令に走るように命じたのだが、自分は歩哨だから、直属上官の命令でない限り、任務を放棄する事はできないと答えたのだ。
「いってくれるじゃねぇか。嬉しいぜ大和男(やまとおのこ)はこうでなくちゃーな」
米田は彼の言い草を気に入ったようだが、ここはどうしても伝令が必要だ。
「よし。俺が歩哨に立ってやる」
そう言って、彼は自ら歩兵銃をもち、その兵隊を後方に走らせた。
「旅団長。なぜ、ここまでやるのですか?」
後備旅団といっても、約五千人の部隊だ。その長たる人間が、最前線に出る必然性が、一馬にはわからなかった。
「いいか、一馬よ。おめーさんが士官学校でどんな事を教わったのか。俺は知らねぇ」
米田は、抜刀隊から少尉待遇で陸軍に編入されたため、士官学校を出ていない。
「だが、戦争ってーのは、理屈だけでやるものじゃねぇ。人間と人間が互いの死力を尽してやるもんだ。戦場で起こる全てのことを理論だけで導きだすことは不可能。最後は勘にたよらなきゃいけねぇところがある。ただ、勘ってーのは、あてずっぽうとは違うんだ。確かな情報に基づいたもんじゃなきゃならねぇ」
米田は、こう考えていた。
現代の科学で解明されていない人間の判断能力が、「勘」と呼ばれるものなのだと。
この考えは半分は正しい事が後に証明されている。
すなわち、米田の「勘」は、自らの霊力で敵方の霊力を感じて、判断していたものだということである。
「だから、俺はこうやって、匂いをかぎにくるんだ。一番、敵に近いところにな」
そして、米田は双眼鏡をおろした。
「旅団長。先ほどの伝令では退却準備をはじめるとのことでしたがいったい、いつ引くのですか?」
敵前退却は、軍事行動において、最も難しい戦術行動だ。一つ間違えば、敵につけいられ、戦線を崩壊させてしまう。そうなれば、この作戦のみならず、戦争そのものの敗北となる。
だが、この問題に対する米田の回答は、ただの一言だった。
「すぐにだ」
あまりに明快すぎて、逆に一馬が面食らった。
「一日くらい様子を見てからの方が、安全ではありませんか?」
「一馬。“匂い”を感じることができるのは、何も俺達だけの専売特許じゃねぇ。どんなに隠そうとしても、風が匂いを伝えちまうんだ。一日待ったら、俺達は追撃されちまうぞ」
元々、ロシア軍は攻勢をかけようとしているのだ。一日遅れれば、それだけ危険性が増すだけだと、米田は考えたのである。
そして、夜とともに、近衛後備歩兵旅団は退却を開始した。
米田は、近衛後備歩兵第一連隊第二大隊を元の戦線に残し、砲兵部隊を筆頭に他の全部隊を退却させている。
この第二大隊は旅団主力が十分な距離を稼ぐまで、ここに残留するのだ。
もちろん、敵が攻めてきたから、ひとたまりもない。砲兵の支援もうけられないのだから、時間稼ぎすら難しいだろう。
しかし、先行している退却部隊に警告を出す事は可能だ。ロシア軍に追いつかれるまでに、それなりの手をうてる。
いわば、第二大隊はいざという時の捨て駒なのだ。
しかし、この部隊に動揺はなかった。なぜなら、米田が直率していたからである。
「一馬。お前さん、先に行ってよかったんだぞ」
米田の傍らには、一馬がいた。
先行する部隊と一緒に退却するように命じたのだが、一馬は米田が残るならば、自分も残ると強硬に主張したのである。そのあまりのしつこさに、米田も根負けした格好だ。
「旅団長の指揮ぶりを見ていたいんですよ」
「見るのはいいが、それで死んだんじゃ割にあわんぞ」
「大丈夫ですよ。旅団長が指揮している限りは。運悪く死んだとしても、日本の礎となるためです。命惜しくはありません」
「けっ。勝手にしやがれ」
柄にもなく照れているのか、米田はぷいと顔をそむけた。
もっとも、この第二大隊を構成している老兵達のほとんどが、一馬と同じ気持ちであったことは疑う余地もない。
もちろん、その効果を期待して米田は、この殿部隊に踏みとどまっているのであるが、それが最大限の効果を発揮しているあたり、統率力という点においても、名人といえるのであろう。
「旅団長。第一連隊長より連絡!」
それは、所定の線まで後退したことを知らせるものであった。
「よし、俺達も後退するぞ!」
第二大隊の後退においても、米田はその最後方に位置し続けた。
そして、この巧みな指揮により、近衛後備歩兵旅団は、本渓湖から朝仙嶺南方高地にかけてに新たな戦線を構築することに成功したのである。
だが、それは、両軍合わせて六万人以上の死傷者を出す沙河の会戦の、ほんの始まりにしかすぎなかった。