「うーん」
朝の帝劇。
大神はサロンでコーヒーを飲みながら、新聞を読んでいた。
いくら海軍が洋式だとはいえ、これは帝劇で身についた習慣である。すみれの影響が大きいといえるだろう。
「獨逸(ドイツ)は大変な有り様のようだな」
帝撃隊長となってから、大神は広く世界へと目を向けるようになった。
帝都を、ひいては帝國を護る部隊を率いるためには、ありとあらゆる情報にアンテナを張り巡らせておく必要がある。そう自覚した彼は誰に強制されることなく、代表的な新聞を毎朝、全て読むことにしていた。
そして、今日の帝都日日新聞には世界大戦――この当時、第二次世界大戦=大東亜戦争は勃発していないから、世界大戦といえば第一次世界大戦をさす――に敗北した獨逸が経済的大混乱に陥っていることが報じられている。
(しかし、一歩間違えば、帝國も……)
今の日本には政治経済の拠点たれる都市は唯一、帝都をおいて他にない。敵の撃滅うんぬんもさることながら、帝都を破壊されぬように細心の注意を払わねばならないだろう。
「お兄ちゃん。おはよー!」
そこに明るい声がする。
ジャンポールを抱えたアイリスだ。
「おはよう」
新聞から目を離し、アイリスを見る。
「アイリス、何か楽しいことがあったのかい?」
「えー。お兄ちゃん、アイリスの心、読めるのぉ?」
「はははは。そうじゃないさ」
喜怒哀楽のはっきりしているアイリスだ。誰が見ても一目瞭然である。
「で、何があったんだい?」
「あのね。今日、おとーさんとおかーさんがくるの!」
「ああ、そういえばそうだったね」
フランスからアイリスの両親がくるという話は大神も聞いていた。ただ、それが今日だということはすっかり失念していた。
「アイリスのご両親って、どんな感じなのかな?」
「こんな感じ!」
アイリスが大神の読んでいた新聞の裏面をさしている。
「え!?」
事情が飲み込めない。
「だから、ここにのってるのがアイリスのパパとママなの!」
慌てて新聞を見れば、そこにある写真には、確かに「シャトーブリアン公爵」の文字がある。
『仏國公爵来日』
仏國のアレクサンドル・ド・シャトーブリアン氏と夫人が今日、来日する。
氏は仏國政財界の大物、マクシミリアン・ド・シャトーブリアン公爵の嫡子
にあたり、まだ若いながら、公爵に負けず劣らぬ英傑といわれている。
氏は、今回の来日を私的なものであるとしており、公式に政府要人らと面会する予定はたてられていない。しかし、非公式な接触は十分に考えられ、氏の動向が注目される。
(そういえば、アイリスの本名はイリス・シャトーブリアンだったけ)
記事を読み終わった大神は驚きを隠しきれない。名家の出だとは聞いていたが、ここまでとは。
「それでね。今日のお芝居、見てくれるんだ!」
「そうか。じゃあ、がんばらなきゃね」
「うん!」
公演がはじまる時間が近づいてきた。
一見、普段と変わらぬ様子だ。しかし、大神をはじめ、帝撃三人娘や米田すら玄関付近に待機している。
「あ、あれじゃないですか?」
椿の指さす先からは帝國に何台もない英國製高級蒸気自動車、ロールスロイスがやってくる。
やがて、その車は帝劇の正面でとまった。そして、扉が開くと端正な顔立ちの男女が降り立つ。
「ようこそいらっしゃいました」
大神が頭を下げる。
シャトーブリアン夫妻は仏政財界の大物であるとともに、帝國華撃團の経済的支援者でもあるのだ。扱いは丁重にならざるをえない。
「ボンジュール。ムッシュ・オーガミ」
アイリスの父、アレクサンドルは初対面のはずの大神に話しかけた。
「貴方のことはイリスから聞いていますよ」
英語でアレクサンドルが続ける。
「そ、そうですか。ありがとうございます」
大神も英語で答えた。
世界各国を巡る可能性の高い海軍では士官学校でも英語教育が重視されていたおかげである。
「イリスの事、これからも末永くよろしく頼みますわね」
これは、アイリスの母、ジョセフィーヌだ。
「は、はい」 ジョセフィーヌの言葉にものすごーく、ひっかかるものを感じながらも、頷くしかなかった。
「私、信じてるわ! 世の中には本当に悪い人などいないのよ!」
アイリスが主役の舞台が進んでいる。両親を意識しているのだろう、一段と気合が入っている。
「彼女がフラウ・マリアだね」
「はい」
貴賓席のシャトーブリアン夫妻の傍らには大神が立ち、説明係になっている。
「おじいさま! 私のおじいさまなのね!」
やがて、舞台は大団円を迎える。
拍手がなりやまぬ中、再び幕があがる。大きな羽根飾りをつけた花組の面々がステージに設けられた階段を降りてくる。
「素晴らしい、素晴らしい!」
アレクサンドルもジョセフィーヌも立ち上がって拍手を送っている。
「大神さん。ありがとう。あのアイリスが、あんな笑顔をできるようになるなんて……」
ジョセフィーヌは大神の手を固く握る。
「思えば、不憫な娘でした。『力』があるために、他の子供達に馴染むことができず、また、私達もあの娘をどうあつかっていいかわからずにいました。いとおしくてたまらないのに、愛し方がわからなかったんです」
大神もそのあたりの事情は聞いている。
「自然に、あの娘は一人で部屋に閉じこもるようになってしまいました。そして、心さえも閉じこもるようになってしまったのです。でも、ここでは、本当に自然に笑っています。本当にありがとう!」
ジョセフィーヌの言葉にアレクサンドルもうなづく。
「私からもお礼をいわせてくれ」
そう言って頭を下げる。
「いえ、そんな……!」
大神はあわててかぶりを振った。
「私の力ではありません。花組をはじめとする帝劇のみんなの力です」
「わかった。それでも、もう一度、言わせてくれ。ありがとう……」
気付けば回りのお客はかなり減っていた。話し込んでいるうちに大分、時間がたってしまったようだ。
「シャトーブリアン伯爵。いきましょう。アイリスが待ってますよ」
「パパ! ママ!」
サロンで待っていた両親の許に、公演の後始末をようやく終えたアイリスが飛び込んでいった。
「あのね、アイリスね。パパとママに話したいことがたーくさんあるんだよ!」
両親の懐に頬をうずめるようにしてアイリスが言う。シャトーブリアン夫妻も目を潤ませながら、彼女を静かに抱きかかえる。
「感動の再会やな」
感激屋の紅蘭はもう涙を滲ませいている。他の花組のメンバーもほほえましくシャトーブリアン一家をみつめていた。
「大神さん。アイリス、やっぱり寂しかったんですね」
「ああ。そうだな」
だが、そんな感動の再会を無粋なブザー音が引き裂く。
「くそ、こんな時に!」
敵の出現だ。
「アイリス。悪いけど……」
「わかってるよ、お兄ちゃん」
アイリスは毅然と言う。
「アイリスは帝都を守る帝國華撃團の一員だもん! いつだって、戦うもん!」
大神は優しさをたたえた笑みを浮かべ、頷いた。アイリスだって、成長しているのだ。
「よし、いくぞ!」
「帝國華撃團花組、全員集合しました」
「うむ」
早速、大型受像機に映像が投影された。
「降魔が増上寺に出現した。至急、出動してくれ」
米田が命令を下す。
「了解!」
各員が神武に乗り込む。
「帝國華撃團、出撃せよ!」
「帝國華撃團、参上!」
増上寺に駆けつける帝國華撃團。
「いくぞ!」
大神の掛け声とともに神武が一斉に動き出す。
だが、気合とは裏腹、あっという間に黄泉兵は駆逐されてしまった。
「もう、終わりなの?」
マリアが罠でもあるのではないかと、いぶかしげに呟きながら周囲を警戒する。
「そういえば、親玉もいねーぞ!」
カンナの言う通り、雑魚ばかりだ。
「警戒を怠るな!」
だが、いくら待っても、それ以上は何もおきない。
結局、花組は引き上げるより他になかった。
「すぐに終わってよかった!」
アイリスは上機嫌だ。
「よかったわね、アイリス」
さくらの言葉にアイリスは素直に返答する。
「うん。だって、これでパパとママと会えるもん!」
今からなら、夕食を供にすることはできるだろう。
だが、そんな上機嫌なのはアイリスだけ。他の隊員達は今ひとつ腑に落ちないという表情だ。
「なにがなんだか、訳がわかりません」
大神も困惑気味に米田に報告をしている。
「ふむ。そいつはおかしいな」
普段の米田とはうって変わった厳しい表情だ。それは日露戦争の知将として鳴らした有能な軍人としての姿だ。
「戦力の分散、逐次投入は戦争において最も犯してはならない愚行だ」
だが、結論が出る前に警報音がけたたましく鳴った。
「また、敵!?」
「今度は後楽園だ。いけ、大神!」
「了解!」
再び神武に乗り込む帝撃・花組。
「あーあ。パパとママに会えると思ったのに!」
アイリスが気落ちしたように呟く。
「ごめんな、アイリス」
「ううん。いいの。お兄ちゃんが悪いわけじゃないもん。アイリス、頑張るっ!」
「よし、いくぞ!」
「帝國華撃團、参上!」
だが、またも敵影は僅かだ。
「なんや。またちょろい敵やなぁ。いっそのこと、少し破壊させてまおうか?」
後楽園は花やしきと並ぶ帝都屈指の遊園地である。すなわち、帝撃の予算を支える花やしきのライバルなのだ。
「馬鹿を言うな紅蘭! 油断するんじゃない!」
だが、結局はなんら問題はなかった。瞬く間に黄泉兵は駆逐されたのである。
「今度も、これで終わりなのか?」
終わりだった。
花組の面々は首を捻りながらもまたしても帰路につく。
「今度こそ、パパとママに会えるもんね!」
しかし、またもアイリスの希望はかなえられなかった。
花組が帝劇に帰りついた瞬間、敵の出現が伝えられたのだ。
「またか!」
とんぼ帰りで出撃する。そして、またも僅かな敵を苦もなく打ち倒した。
と、今度は変える間もなく、別の場所で敵が出現したという通信が入ってくる。
「くそ、一体、どうなってるんだ!」
結局、この日は寝入りばなも含めて計6回の出撃が行われた。どれも僅かな敵で、完勝、というよりも楽勝であった。だが、一回一回の負担は軽くても、精神的な緊張を何度も強いられるというのは、疲労を増させる。
「やれやれ。昨日はまいったな」
眠い目をこすりながらも、大神はいつも通りの時間に起床した。海軍士官学校でも徹夜の訓練はあったが、実戦の疲労度とは比べ物にならない。
まだ、誰もいないサロンのソファーに座って視線を虚空にさまよわせた。思考能力が低下している。
「大神。ぼーっとしてるんじゃねーぞ」
米田が珍しく二階にあがってきた。大神達が就寝した後も、徹夜で報告書の作成や敵状の分析にあたっていた筈なのに、いつもと何ら変わったところがない。
(まいったな)
大神はこの老人に舌を巻かざるをえない。
記録によれば日露戦争では徹夜の行軍や戦闘が当たり前のようにあったという。
(これが、米田大将と俺の間にある経験の差というものか)
米田が二階にあらわれたのも、花組の様子をみるためであろう。もし、米田の立場に自分がいたら、そこまで気が回っただろうか。
「支配人。私は大丈夫です。それよりも、花組の様子を見てきます」
「うむ。それでいい」
頷くと米田は階下へ降りていった。
大神はそれを見届けると、花組の部屋へ向かおうと席を立った。
「あ、お兄ちゃん。おはよー!」
そこに、アイリスがあらわれる。
「あれ、今日は早起きだね」
「もう。そんな言い方だと、アイリスがいつもお寝坊みたいじゃないの!」
「ははは。ごめん、ごめん」
しかし、実際はいつも最後に起きるのがアイリスだ。
「それに、今日はパパとママのところにいくんだもんね!」
昨日は出撃続きで、結局、両親とはあえずじまいだった。
「それで、前に俺とデートした時の服を着てるんだね」
「覚えててくれたんだ。うれしい」
アイリスの顔が赤らむ。この服はアイリスにとって『とっとき』ということなのだろう。
「それじゃあ、お兄ちゃん。いってくるね!」
「おいおい。一人で大丈夫なのかい?」
「パパとママが、“はいやー”を頼んでくれてるんだって」
「ああ、そうか。気をつけていってこいよ」
「うん!」
アイリスが喜色満面にで出かけようとした、その時だ。
「帝國華撃團・花組は地下指令室に集合してください」
けたたましい警告音とともに放送が流れる。
「……アイリス」
大神が気の毒そうに声をかける。
だが、後ろ姿のアイリスは立ち止まりはしたものの、振り返ろうとはしない。
「……アイリス!?」
再度の呼びかけにようやく振り返った。
その表情は先ほどとは一転、不機嫌丸出しだ。
「ア、アイリス。い、いこうか?」
「………」
「ね、アイリス。いかないとみんなまってるよ」
「……わかってる」
ぶっきらぼうな答え。
それでも、アイリスは地下へのシューターへと向かった。
「帝國華撃團、参上!」
日比谷公園に七機の神武が姿をあらわす。
「また数は少ないようだな」
大神は素早く状況を確認する。
「よし。いつもの手順でいくぞ。カンナはすみれくんと左翼から。俺とさくらくんは右翼をいく。マリア、紅蘭、アイリスは後方支援だ」
「了解!」
黄泉兵に攻撃を始める。
「えい!」
さくら機が剣を振った。
「え!?」
いつもなら、止めの一撃となる筈の打撃を黄泉兵は耐えた。そして、さくら機に反撃しようとしている。
「さくらくん! 退け!」
大神は手動操作で左足の高機動装置を前進、右足のそれを後進にいれて強引に機体の方向を変えた。
「くっ」
急激な方向転回で失われそうになる方向感覚を方位磁針を見つめることで保った大神は二刀を切り付けていく。
「狼虎滅却・無双天威!」
黄泉兵はようやく倒れた。
「すいません。大神さん」
「油断するな!」
だが、今度は別の場所で悲鳴があがった。
「しまった!」
「不覚ですわ!」
すみれとカンナが黄泉兵を取り逃がした。その黄泉兵は後方支援組に向かっている。もっとも、黙ってやられている彼女達ではない。
「そこっ!」
「いくでぇ!」
霊子速射砲と霊子カノン砲が火を吹く。だが、その着弾は黄泉兵から外れた所であった。
「そんな……!」
「なんやて!?」
過去にこんなことはなかった。動揺する二人を尻目に黄泉兵は最も近いところにいるアイリス機に迫る。
「イリス・エトワール!」
アイリスも攻撃するが、元来が低い彼女の攻撃力では黄泉兵を倒すことはできない。
「きゃぁぁぁぁ!」
アイリス機に黄泉兵の攻撃が命中する。一匹だけとはいえ、かつての降魔とは桁違いの攻撃力は侮れない。
「アイリス!」
黄泉兵が二撃目を加えようとするのを見て、大神がアイリスをかばいにかかる。
「お兄ちゃん、だーい好き!」
そして、返す刀で黄泉兵に切り付ける。黄泉兵がよろめき、二三歩後退したところを今度こそマリアの霊子速射砲がうちぬいた。
「みんな無事か?」
「大丈夫です。花組全員、別状はありません」
マリアの報告に大神は、ほっと胸をなで下ろす。
「よし、帰還するぞ!」
「不知火よ。首尾はどうだ」
暗き洞穴の中、ヒルコが己の部下、『風の不知火』に問い掛ける。
「はっ。上々です。ほどなくよい結果をお見せできるものと」
彼は感情を抑えた、しかし、自信に満ちた声で言う。
「よろしい。最終的な結果さえでれば、下っ端連中などいくら使い捨てにしても構わぬぞ」
「ありがたきお言葉。もっとも、この暗黒の三戦士随一の知将、風の不知火にしてみれば造作もないことです」
「頼もしいな。期待しておるぞ」
「はっ」
同じころ、帝撃銀座本部地下司令室では、帰還直後の大神とマリアが米田を交えて会議を開いていた。
「米田長官。敵の狙いは一体……!?」
「うむ。不正規戦の戦術をとりいれたようだな」
不正規戦、すなわち今ならゲリラ戦とよばれるものだ。
「こちらは強力だが、七人しかいない。対して奴等は無限ともいえる数をもっている。それを最大限にいかすための戦術ということだ。戦力を我々を疲労させ、消耗させようという戦術にうってでたんだ」
圧倒的ともいえる数の差があってはじめて成立する作戦だ。そうでなくては帝撃を消耗させる前に自陣営の戦力が尽きてしまう。
「厄介な手です」
マリアが口を開く。
露西亜時代、反帝ゲリラの闘士として活躍した彼女は不正規戦戦術を体験的に知っている。
「戦力の消耗を度外視できるのであえば、これほど確実な手はありません」
「そうか。今日の戦闘でもみんなミスが多くなってきてたものな」
大神も腕を組んで考え込む。
「かといって、全力出撃をしなかった場合に敵が戦力を揃えてきたら、こっちが潰されちまうということか」
「その通りだ、大神」
米田も渋い表情だ。
「長官。なんとかならないのですか」
「すまんが、率直に言って俺にも打つ手がねぇ」
「そんな!」
「できるだけ、疲労しないように戦闘を指揮してくれ。それと、思わぬミスをする可能性が高くなる。それに注意しろ」
「わかりました」
と、言っているそばから警報音が響いた。
「くそっ!」
結局、三日に渡って昼夜を問わずの出撃を強いられ、時には公演を中断したこともあった(ちなみに、火災警報機誤作動という理由で、全席払い戻しとした)。
そして、対応策は未だ見つからぬままである。